☆コミューン研究☆  労働者自身の事業による解放のために

″労働者自身の事業による解放″を目指す一労働者のブログです

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■■☆コミューン研究☆ №007

 『行動委員会と党建設』(再録&加筆 ③)

★★※※……

 №005、№006と連続して、柴田著『マルクス国家論入門』について紹介しました。……実は、私の仕事が雨のため昨日に続いて休工となり思わぬ時間ができたため、…さらに頑張って、今回はもう一度『行動委員会と党建設』の再録(と加筆)を進めることにします。

 引用中、○○○○として伏字にした部分は、必要に応じて(※※・・・・※※)として加筆して説明しました。

   ……※※★★

………………………………………

………………………………………

■■■<補足>■■■………………………………………

「73○○」引用文=<行動委運動の重層的展開…を基礎とした党建設>の提起は、現在直下に非合法時代の闘争・組織建設論としても、戦略上の核心として明確に定立されるべきである、ということについて

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学生戦線などの「革命的インテリ」の矛盾に発する運動は、○○○○(※※労働者階級の戦いを軸にした統一戦線※※)の隊列のうちに戦闘的任務を背負って起ちつつ、同時に小ブル性(=賃金奴隷制への非和解性をめぐる<不徹底>性の残滓を一定混在させつつも、マルクス主義的共産主義的綱領・原則と現実の労働者階級(と全人民)の非和解的死闘的闘いの衝撃力を導きの糸としながら、労働者党員を先頭に階級的革命党の建設をも独自に射程に入れつつ闘っていく。

 そしてその闘いは、資本制支配とその国家支配に全面的に対決する他ない<全面的非合法存在><革命的存在>であるプロレタリア階級の<個々のうちに潜在している革命性>が闘いを通して<顕在化=より全面的に解き放たれる>よう、──不断に、新たな時代の、新たに戦闘的革命的に再編されていく行動委運動ーソビエト運動を基礎とし、階級の死活利害と革命的党的突撃力を組織しつつ、またこうして党的に組織された労働者階級の不断の決起と党的闘いがより全面的に発現されるように──闘うべき、ということだろう。

★★※※……(小見出しは加筆です)

■■「大衆─党─大衆」であり「党─大衆─党」ではない!

  「戦略」は「精神主義」にすりかえてはならない! ■■

 未整理ながら<一つの視点>だが、それは例えば<大衆─党─大衆>(=大衆的死活利害に発し、大衆的階級的権力樹立へと還されていく闘い)であり、決して<党─大衆─党>ではない点の重要性として確認すべきことではないだろうか。あるいは、ブルジョア的観念的普遍を粉砕し止揚する<労働者(人民)個々の諸矛盾との対決の総和>たる現実的普遍とは、まさに「73○○」引用文で提示された<行動委運動の重層的展開…の内在的推進>を基礎としてこそ、この地上に巨大に出現させうるのであり、ここにこそ──<理念としてのみならず──二重権力的な<実体>としての<打倒力・止揚力>をついに出現させうるのだ、ということなど、戦略上の核心問題が、まさにこの「73○○」引用文に凝縮して述べられていると思う。こうした戦略上の核心部分を決して「この精神」といった<読み解き>にしてはならない。

■■■<補足>■■■………………………………………

 「○○○号」で言う「生み出した責任」の意味・内容について、──それが<労働者人民に対する「責任」ではないこと>などへの──いくつかの疑問

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「○○○号」で「KMTグループを生み出した責任」に言及されていることは、例えば「KMTは元々○○派ではなかった」といった、いかなる総括も鍛え上げない論調よりはるかに前進した提起と思うが、

★★※※……【以下は加筆です。

  ■■KMTを生んだ責任回避で破綻する▽▽の根本問題■■ 】

 KMTはそのかつての党内活動も党外活動も「▽▽部」であったし実際そうだった。その「立場」をふりかざして「党内=若き同志たち」に暴虐をふるい、「党外=諸大衆運動」に破壊行為を続けて操作し私物化しようとしてきたのである。またそれらの横暴の成果をもって「党の破壊」を企ててきたのである。 この獄中からの提起では表現を押さえて述べているが、しかし他の「▽▽部」員たちは当初口をそろえて「KMTは元々○○派ではなかった」という表現を乱発していた。だがこれほど決定的な敗北的事態があるだろうか。「重要な責任にある同じ会議で長年同席していたKMTを反革命分子として生み出したことの、会議員としての責任回避・総括回避─歪曲」という見苦しいほどの自己保身の動機がそこにあったのだ。その後続いた弾圧・テロの中で、便宜的臨時編成的に▽▽に参入することになった私は、何よりその「総括ならざる総括」に反対して抗議した。そのことによって▽▽ではなんとか「元々○○ではなかった」というまやかしの言動は表面上は消えたかに見えたが、別の形の「総括ならざる総括」方法が編み出されていった。

 新たな「総括ならざる総括」の特徴のひとつは、「KMTは(学生戦線担当なのだから)学生戦線が生み出したのだ」という詭弁であった。KMTが学生戦線担当であり続けたのは▽▽がそのように承認し任命し続けたからである。あきれるほどの詭弁である。ここで私が批判している「○○○号」論文の基調はまさにこれである。ここには「学生戦線がKMTを生み出した」論から、「□□(私のこと)は第二のKMTだ」論へと橋渡ししていくあさましい意図・目的がこめられている。だから非科学的きわまりない意図的作文になってしまっているし、だから「獄中からの私の批判」は当時も出獄後も握りつぶされているのである。

 新たな「総括ならざる総括」の特徴のふたつめは、それまでの、「KMTを生み出した温床」を「M拠点大学の問題」に切り縮めて決して「東京・山谷の問題」に触れない・触れさせない態度を、──私が獄外にいないこの隙に──改めて「すべては学生の責任」という論調で意思一致し(かつ、私を最悪の分子とレッテル貼りしてしまうことで黙らせ)て、▽▽たちの膝元で繰り返されてきた「東京・山谷の労働運動破壊」さらには「日雇全協破壊」さらには全障連運動破壊・日朝連帯運動破壊など(▽▽として自己批判や総括が問われるような)諸大衆運動破壊の問題を決して総括課題にさせないということである。

 この「○○○号」論文が「我々は差別を許さない」と仰々しく大言壮語を書いたにもかかわらず、この時期に獄外では部落差別・朝鮮人差別・「障害者」差別などの何の学習会も組織されていないし、無実の石川氏に連帯する狭山現地での定例活動も消滅させられたし、より発展させていくはずの「狭山23デー情宣闘争」さえ「○○のビラまき」などと切り縮めた呼称に変更され歪曲されたし、○○地区朝鮮史研究会の活動も消滅させられたし、(当時の弾圧への反撃そのものである)融和運動を粉砕していくはずの全障連攻防も(少なくとも党内の課題としては)消滅させられている。諸君らがそうした無為無策ですましていられる、その生き方自体がとてつもない融和主義・差別主義であり、弾圧者に加担するに等しいことなのだが。

 また、そんなことだから「戦闘的労働者による『映画問題』=『筑豊からの告発』『山谷─日雇全協問題』の総括提起」に対しても「○○(私のこと)の言い訳だ」と捻じ曲げ、しかも「それは○○(私)を批判する同志たちの総意だ」という作文を▽▽が関与してつくり、承認させ、流布しようというスタ的な「イカサマ組織討論」に手を染めてしまうのである。

    (以上は加筆しました)……※※★★

しかしここでは、

1,階級的革命党としての、大衆的階級的闘い(に与えた打撃)への「生み出した責任」=自己批判としては(具体的言及もないが)「課題」としても全く提示されない。まずこのこと自体に大きな違和感がある。

 その上で、他方後段の「○○派の歴史と革マル反革命性」の項目においては、

2・

(1)「…『党軍路線』の軍の発生を許した…」責任、

(2)「…小ブル学生運動主義への転落を許した…」責任、

(3)「対敵共同性、敵との闘いをとおして団結…の解体…」の責任、

(4)「…民主主義的急進性の破産から…路線転換・転向…」の責任、が述べられているが、いずれの突破の課題も、その基礎に具体的現実的な大衆的階級的闘い(の共有と、内在的推進と、検証)が不可欠であるはずである。

 ところが、上述(1)~(4)の課題の提起のすぐあとに、「このように○○派と○○○は…プロレタリアートの利害にこだわろうと執着し…前進してきた。」と、つまり階級的自己批判の表明ではなく、むしろ逆に<○○派の一貫した正当性>が表明されていることによって、結局さらに「生み出した責任」とは、決して<党の労働者人民に対する責任>ではなかったことを再確認させられるのである。

 (※あるいは「責任を有するわれわれ」(「○○○号」)の中に、その責任の濃淡(?)による<二つの立場>が使い分けられた論理となっている、とも考えざるを得ないのである)。

★★※※……加筆して注釈します。

 獄中からの批判提起なので穏やかに押さえて書いていますが、「二つの立場が使い分けられた論理」になっているのは、「▽▽は無謬でつねに正しいのだが、(「○○○論文」の執筆主体である)学生戦線は全責任を負い自己批判しなければならない」という基調だからである。この卑怯によって足踏みを繰り返す他ないのである。

 しかし、より重要な問題は、かつてKMTに重大な打撃を受けたゆえに渾身の力を絞って闘ってきた若き学生同志たちが、今や「KMT」や「第二のKMT?とされた者(私?)」と同列にみなされて「その理不尽と失意のうちに去る」か「イエスマンとなって残る」かの選択を迫られてしまったことである。革命史における「いつか来た道」という他ない。

   (加筆注釈、以上です)……※※★★

★★※※……(小見出しは加筆です)

  ■■「労働者階級自身の打倒力・止揚力」こそ「階級形成」の闘いなのである!

    「止揚力をわがものにした個」など「神」であり宗教である!■■ 

 そしてこの項目の最後では、――少なくとも闘争・組織路線、方法論として見るかぎり――「73○○」引用文とは全く異なった内容が述べられている。

 曰く、「(※具体的には示されないが)『問われている』『新たな飛躍』抜きには」、

(a)「打倒能力と止揚能力を一つながらにわがものとし、もって

(b)『労働者階級自身の事業』の断固たる部分たりえ」ない、と。

 しかし第一に、そもそも〈打倒能力・止揚能力〉を問題にする場合のその“主語”とは、――例えば手許にある『小論集』で確認しても――「革命組織」(3p)や「プロレタリアート(の階級への形成)」(73p)など、つまり“団結の内容”として問題にされてきたとは思うが、本「○○○号」では、「断固たる部分」すなわち“一革命者の内容”として提起すること、言い換えれば〈打倒能力と止揚能力を一つながらにわがものとした“一革命者”〉という、いわば〈革命的団結のうちに(←という但し書きを不要とした!?)“革命的に自立した個”〉といった自己完結した個が措定されてしまっているのである。

★★※※……(以下は加筆です)

 ■■【「革命的団結のうちに革命的に自立した個」 について】■■

 「革命的団結のうちに革命的に自立した個」。闘いをとおして「団結と個」がそのように弁証法的に発展していくことを、「正しい者が正しく行動する」程度の演繹法ほどの内容に捻じ曲げて「革命的に自立した個」というテーマを発明してしまっている。これは実践的にはまったく異質の思想になる。前者は「行動委員会運動─階級闘争の発展のうちに個々人が自立し解放されていく」ことを照らし出すが、後者では「一部の完全無欠の者が烏合の衆を教え導く」となる。ここに「党が絶対」であり「大衆運動は党を粉飾する道具として以外は不要のもの」となる根拠があり、そのような思想が自白されてきたのである。それこそが小ブル思想であることには「党が絶対」である以上、永遠に気づくことはない。

 また、「無欠ではない者」=「正しくない者」例えば「差別者」「抑圧者」「排撃者」などとひとたび烙印を押されれば、その者は「共に闘う資格」さえ失いかねない。そのような「レッテル貼り」だけで「何をもって差別映画と言うのか」の検証もせずに「かつての○○派による筑豊と山谷での大暴れ」は容認されてきた。意義を申し立てて自分まで「差別者」の烙印を押されてたまらないと誰もが卑怯に立ち回ればそうなるほかはない。容認した卑怯者たちは、いつも「自分は知らなかった」という逃げ口上を準備している。風見鶏たちは「イエスマン」になり、「無欠の者」はますます「完全無欠」を演出しなければならない。裁判官や書記や廷吏たち、役所の上司と役人たち、スターリン…、どこにもある光景だ。

   (加筆注釈、以上です)……※※★★

 だが我々は、階級矛盾に発する感性的反逆を出発点とした闘いと団結を通して、そのように鍛え抜かれた(大衆的であれ党的であれ)――不断に対敵性を第一義とした階級的自己批判(の相互批判・自己批判の相互発展的連続・運動)を生き生きと展開しつつ、あらゆる革命的発展可能性を押し広げていく――“闘いと団結の総体の力”として、〈打倒能力・止揚能力〉を課題にしてきたのではなかったのだろうか。

 従ってさらに、こうした非弁証法的な“一革命者”のたて方の上に、必然的帰結として、第二に、上述の〈aをもってbへ〉も、いわば〈「断固たる」をもって「断固たれ」〉と循環してしまっているのではないか。

★★※※……(加筆) 観念論者は必ず循環する! (以上)……※※★★

■■■〈違和感の3〉■■■………………………………………

「KMTグループを生み出した責任」にかけても、その発生過程で先端的に決起し、勝利的に闘いぬいた意義が示されぬ「総括」も、やはり“大衆的打撃と反撃”への着目がないことと同根なのではないか。

…………………………………………………………………

 〔99.○.○-○〕に至る数年間は、まさに転向・総路線転換を策動するKMTらによる戦闘的大衆運動(拠点)破壊と――これを条件にもした――革命党破壊への暴走を許してしまった(私の場合は)敗北的痛恨の数年であった。しかし他方、〈直前の諸事態から○.○-○〉に彼らを追いつめていく過程にはいくつもの見逃せない勝利的闘いがあった。それらはまぎれもなく解体・根絶戦の先端であったはずであり、総括を定立していく闘いも、まずそれらの闘いに孕まれて開始されているはずである。いわば〔99〕以前のKMTらの「(ことさら『中央』をふりかざしての)統制的『指導』的ふるまい」を、諸大衆運動の内在的推進の活動においても党的活動それ自身においても、強烈な桎梏を感じてきたことの“真因”を〈転向・路線転換と破壊・敵対〉として――例えば私の場合は某同志の同志的批判によって覚醒させられ、また若き学生同志たちは私などの反省とつたない助言によって瞬時に決起するなど、それぞれに他の同志の闘いによる「助力」を得つつ勇躍決起し得たという経過ではあれ――、諸同志自身が破壊陰謀を見抜き怒りを爆発させて闘っている。後述するが、それらの怒りの背後にはすでに幾多の打撃を受けてきた労働者人民の怒りと闘いがある。(私の場合は直接にそれらがあった)。だから、その私自身の大衆運動領域を含む経験と実践において、その私には、「○○○号」のいう「生み出した責任(総括)」の視点においては第一に〔○.○-○〕が労働者人民に与えた具体的打撃への痛恨も認識さえも欠落していることに起因して、第二に、先端的に決起した(若き学生同志たちをはじめとする)同志たちの闘いを共有する視点が欠落したのだ、と思える。(※あるいは「自己批判すべき学生戦線」という本論の結論的な論旨が意識されているあまり、学生同志たちの闘い(=肯定的側面)のひとつひとつが「取るに足らない、些末な事柄」として紙背に押しのけられたようにも思える。「予め想定している結論に沿うように一個一個の事実=現実の闘いを足したり引いたりする」すなわち「現実に思想を押し付ける」総括方法ならばそのことによって諸々の誤りが増幅助長されるほかないことは自明である)。

 以下のような闘いは――獄中書簡ではやや詳しく書いたが、省略して列記のみしておきたい。

(1)〔○.○-○〕直前の〔4.○○〕にはKMT・MYI(とHR)が「迷ったら左派につけ」なる無内容きわまる、しかも派閥主義丸出しの恫喝で〈公然たる破壊組織化〉を開始しているが、その時点なりの仕方で粉砕してきた。

★★※※……(加筆注釈)私のこの闘いは▽▽は黙殺して決して歴史から消す。……※※★★

(2)むしろ破壊陰謀の破綻を予感しながら焦りを深めつつあった木元らは、〔4.○○〕には革命的学生戦線をその機関ごと反革命陰謀機関に転落させようとし、「(学生組織としての)本社占拠・三里塚拠点占拠」の号令を試みたが、同時に反撃を開始してこれを流会にして粉砕してきた。

★★※※……(加筆注釈)私のこの闘いは「学生戦線を救った」と自負するが、▽▽はこれも黙殺して歴史から消す。この闘いなくして「○○○号」も「○○○現闘」も前提すらないのだが。……※※★★

(3)さらに〔○.○〕当日の攻防においては、「直ちに本社から去らねば二度と○○(★※学生拠点のこと※)に入れない」という排除・テロ恫喝の本質とともにKMTらの陰謀を瞬時に見抜いて決断した学生同志たちが、占拠策動を粉砕する闘いの先頭に立った。

(4)そしてさらに――〔5.○-○〕陰謀破綻=敗北の中で発生した――KMTグループとしての“制圧”を食い破って決起した○○現闘団や、――転向・路線転換にのめりこんでいたKMTらの学内平和主義によるM大拠点私物化願望にとっての“阻害物”として――長期にわたる差別攻撃・蹂躙・制圧を受けつつもこれを食い破って再結集を果たし、糾弾・報復に決起したM大学生同志の闘いがあり、また獄壁とKMTらによる攪乱という二重の攻撃を食い破ってきた獄中同志たちの闘いがあった。(○○○現行隊、非公然の同志たちのさらに熾烈な決起も推察しなければならない)。

 まさに、労働者人民の利害にかけても〈転向・破壊〉を正面突破・粉砕する〈断固たる闘い〉とは、こうした闘い抜きに論じ得ないはずではないだろうか。

★★※※……(加筆します)

 このM大学生同志の闘いへの迫害について「女性差別主義者KMT」だけの「総括?」はゴマカシである。まずM大だけでなく本社でくり返され得た差別迫害であったことの▽▽自身の総括がない。また「○○○号」も含めて(観念的な決意主義ではない)真に学生運動史の検証に立った学生戦線とM大拠点闘争の──それらが▽▽指導の下にあったことを含んで──総括がない。だから打撃は「○.○─○」直後も継続した。それを跳ね返しても同志の決起があったが、ここにこそ革命的女性解放運動の生命力が秘められていたはずにもかかわらず、なぜかそれは軽視された。おそらくはこうした無内容も一因として、結局、かつてKMTに列した迫害加担者たちは、新たな「レッテル貼り」で再びの迫害に加担した。

   (加筆は以上)……※※★★

……★※(中略)※★…

■■■〈補足〉■■■………………………………………

「73○○」引用文の趣旨に関連して…

72年『党・ソビエト・武装蜂起』『獄中小論集』の検証、および現下の課題について

………………………………………………………………………………

 特に木元グループ発生をめぐる総括視点として、私としては、「73○○」はとても的確な引用であったと感銘した反面、それがどうして「○○○号」論旨のように読まれるのか、どうしても不可解なのである。この不可解は一応置き、――当時の資料としては『党・ソビエト・武装蜂起』しか手許にないこともあり――、それを通して「73○○」のそれが、70年代前期のいかなる階級闘争局面においてうち立てられた原則なのかについて、より詳しく見ておこうと思う。

……………………………………

□.以下、『党・ソビエト・武装蜂起』「プロレタリア革命における軍事路線」から引用…………………

★★※※……(小見出しは加筆です)

 ■■足下に存在する日本プロレタリアの矛盾や苦闘はみえず…スターリニズムに■■

 大衆運動それ自身の中に含まれている暴力的本質の目的意識的全面展開が軍事問題である以上、「大衆組織-行動委員会-党」という組織展開と、別の展開を考えていくのは全くの誤りである。……党は、そういうものとして目的意識的推進力となっていかなくてはならぬ。……組織問題の根本は、大衆組織(組合、自治会)-行動委員会-党という革命運動上の組織路線が、それぞれ相互に軍事的発展を遂げていくということにあるのだ。……コミューンの原則は、……働く階級が同時に政治を行ない、したがって武装をも獲得していくということなのであり、このことは現在的に進行していなくてはならぬのだ。革命の正規軍(注※=「党・行動委」のこと)は、この「大衆組織-行動委員会-党」の武装の発展と、帝国主義軍隊(常備軍)の解体、その相互結合の中で建設されていく。……プロレタリアの大衆運動の中から発展していく革命運動、そして、それに対応した組織の外に「軍」なるものを定立していくことは、「イデオロギー的な党に支配される物理力としての軍」という「疎外」の開始なのだ。また、逆に、こうした構造の中では、統一戦線なるものが非常に恣意的になり、結局「人集めのプール」のような位置におち込む。これらは、コミューンの原則から外れた「軍の疎外」の開始を孕んでいる。…… ……(『党・ソ』141p)

 階級闘争の激化の中で、自らのエネルギーのより一層の革命化を追求することが要求される。日本の民主主義急進派の大衆運動の主流は学生運動であるが、この学生運動が、政治運動と社会運動を通して(自らの社会的矛盾との闘いを通して)、労働監獄の中のプロレタリアートと結合していくことが「発展の途」なのである。しかし、小市民急進派の大部分は、この教育闘争を政治主義的にのり切った結果、依然として「プロレタリア」は言葉の次元に止まり、百万遍「プロレタリア革命」と語りつつも、自らは「現実のプロレタリア運動」、「プロレタリアの矛盾」とは無縁な形で流れている。こうして、権力の弾圧にあい、より激烈な階級闘争の推進が要求されてくるや否や、自分の足下に存在する日本プロレタリアの矛盾や苦闘はみえず、「後進国」の農民や人民の闘いに引き寄せられていく(思想的には、スターリニズムに)。

 ML派、ブント諸派のみならず中核派も、ほぼ同様な形にはまりこもうとしている。……

 ……(『党・ソ』148p)

…………………………………………

 引用はいずれも、直接にはプロレタリア軍事路線の定立のために書かれたものと思われるが、その基礎に据えられた闘争・組織思想は、①〈行動委運動〉を展開しつつ、〈大衆運動〉と〈党建設〉が、(1)闘いを通して、(2)相互連関的に…発展していくものとして、一言で言えば、「大衆運動の中から発展していく革命運動」の「目的意識的推進力」であるべき党、という視点が鮮明に提起されていることがきわめて重要と思う。そしてそうした①②の鮮明な論旨がそのまま「73○○」引用文の論旨であるはずである。

 さらに、『党・ソ』にこのように提起された地平について、改めて要約的にその意義を鮮明化して再提起したと思われる『小論集』の一文もある。「73○○」引用文をどう読むべきかを中心課題としているので、これも示しておきたい。

…………………………………

□.以下、『獄中小論集』「同志NKの営為引き継ぎ、“万国の労働者団結せよ”の今日的定立へ」から引用………………(※)は加筆したもの

 彼(※同志NK)は、60年安保闘争(とブンド)の総括および学生運動路線をめぐった小ブル急進主義運動の意義と限界およびその階級的転換(止揚)に関する問題以来、一貫して綱領・戦略・組織・闘争と団結における階級性を問題にしてきた…… 

(※1)蜂起(革命戦争)―プロ独を実現しうる戦略・戦術(路線)と党(―軍)建設の定立における階級性、

(※2)または、階級性を根底にし、現実につらぬいた路線・組織の飛躍を自己=党の課題にすえんとしてきた。また階級性自体についても

(※3)闘争を媒介とした共同性=団結(団結相互の連合=結合)のうちに発展しうること、および

(※4)分業に規定された個別性の全階級的検証=小ブル性の階級的否定(止揚)の論理を有しており、同時に

(※5)この闘争(実践)と団結の階級的普遍的発展として認識の問題もたてようとしたのである。

 それは、……

(※6)ブンドや日本トロツキズムが対置した「階級的視点」をそのイデオロギー的立場にすぎぬものから……現実の(工場)労働者の階級的矛盾=制約に発しそれへの闘いと団結の発展のうちに定立するものへと、転換=止揚せんとした……。

 ………………(『小論集』69.70p)

★★※※……(小見出しは加筆です)

■■諸大衆運動の前進の「武器となる総括提起」を!■■

 上述の二点の引用・提示の上で、一段の“主張”めいたものを述べておきたい。

 例えば「『大衆組織-行動委員会-党』という組織展開と、別の展開を考えていくのは全くの誤り」(『党・ソ』)といった点から本「○○○号」のKMTグループ発生総括関連を見た場合、『大衆運動(組織)』領域は全く抽象化、というより(何よりKMTらが陰謀的破壊に集中し、反革命出撃拠点に転化せんとしたところの)「山谷」のみならず「M大」さえもが課題にならず、検証点にされない「総括」であって良いはずがない。『党・ソ』『73○○』『小論集』つらぬいて提起されている〈大衆的闘争を基礎として相互発展〉といった具体的立体的現実的な推進構造が、階級的闘争・組織建設にとって決定的であることは明瞭である。しかし「○○○号」ではここが素通りされ――前述〈違和感2〉で指摘したように――全く別に、独自に「断固たる部分」であるための“4箇条①~④”が提示され、これにそった展開になっている。他方、「百回言っても労働者階級の立場になることにはならない」(「○○○号」)という小ブル運動批判の実践的突破口もまた「73○○」引用部分の、しかも“その読みとばされた部分”にこそ示されていることも明瞭である。〈現実の労働者階級の闘いと団結の発展のうちに定立された階級性〉(『小論集』)である。従って、〈KMTグループ発生総括〉も〈小ブル性の止揚の問題〉もまさに「73○○」の〈BX、BY、そしてC〉に立脚した実践的検証として展開されるべきであったはずであり、しかしここが完全に素通りされたことによって、「○○○号」の指摘部分もまた「百回言っても…」の懐疑的思考(実践的には最悪の場合はご都合的「総括」や「方針」)へと循環していく構造に陥っているのである。これは本論が意図することに逆行して“新たな外在性”へと疎外を深めてしまう構造でもある。

 特に問題は〈木元グループ発生総括〉に関わっている。(次章で見ていくが)多くの労働者・「障害者」などの友人たち、戦闘的大衆、そして諸同志がそれぞれの激烈な痛恨を抱えている。またそのことを背負いつつ〈諸同志の痛恨から捉え返した、諸同志なりの教訓や総括をもって、これを諸同志なりの“新たな積極性”に転化して〉闘ってきている。しかし例えば〈革命的団結の内に諸「総括」が不統一に乱立する状況〉は、――「より豊かに共有された総括」を生み出しうる絶好の飛躍の条件(再出発点)とも言いうるが――、乱立のまま長期に固定されれば、〈ただ「総括(・方針)が不統一である」ことと何ら変わらなくなる〉と何ら変わらなくなる。しかもこうした場合、例えば《党的諸機関内部で、比較的共通の前提に立つ同志間で、比較的「完結」しうる討論》の中では比較的「混乱」しないし(そこがまた観念化・党の独善化の入り口として問題だと思うのだが)、そうではなく《常にきわめて多様な個性(社会性)や生活条件や考え方が交錯し鍛えあって、常に「小勝利」や「小敗北」やそれらを通した新たな教訓や新たな問題意識を次々に産出しながら前進している諸大衆運動(拠点)領域での、日々問われては日々応えねばならぬほどの“問題意識の宝庫”からの、階級的諸要求を背負っての「内在的推進」やその「拠点攻防」の総括(・方針)にかかわる党機関的討論》といった場面では、諸同志の〈積極性A〉と〈積極性B〉とが往々にしてすれ違い、あるいはある種の摩擦となる他なくなる。とりわけ「KMTグループの発生」めぐる各々の痛恨における各々なりの教訓が入り乱れて、その「個々の“総括”の乱立」というような“共有されるべき討論土台”の曖昧さも「増幅」要因となって、結果、ある種の“組織活動(運動・拠点建設の闘い)の足踏み状況(=停滞)”がもたらされてしまうのである。

 本「○○○号」の論旨もそうしたひとつの〈積極性〉の表出であると思うが、しかしやはり、「現実の…階級的矛盾に発し、…それへの闘いと団結の発展のうちに定立…止揚する」(『小論集』)全組織的・全同志的格闘をくぐった総括として定立しえない限り、個々の〈積極性〉はどこまでも「個々の…」以上ではありえない。つまり「○○○号」の総括方法においては、再び“他の〈積極性〉とすれ違い、摩擦を生む”ということが止揚されない。

 そして最も重要なことだが、まさに問題は、現在直下=革命的危機下の全運動のソビエト的転換(―その内在的推進)・本格的権力闘争の飛躍を一丸となって闘いとるための“最強の武器”となるはずの“KMTグループ発生総括”をいかに定立するか、にある。

 問題は、

①具体的現実的に権力・KMTグループに多大な攻撃を受け、また現在も継続する攻撃と対峙・対決している戦闘的大衆運動(労働者・被差別大衆・人民とその運動・拠点攻防)にとっての、

②具体的現実的に大衆的打撃と反撃、怒りと闘いにおいて検証された、

③具体的現実的に全運動のソビエト的転換をたぐりよせていく反転攻勢・勝利の展望(=〈蜂起・内戦〉から捉え返された党的な目的意識性)を研ぎすまして大胆に前進していくための“基軸となる総括指針”、

……という意味ではいまだ定立しえていないことの、課題の(革命―全労働者人民にとっての)死活性である。

こうした点を含めて、やはり「○○○号」の関連部分は再検討されるべきではないか。

 (※ 「足踏み…」の危惧は、まず争議共闘についての――内在的推進を闘うべき――階級的革命党としての責任をもった討論に関連するもの。さらに「全障連再生」や「阻止共闘」や――直接に破壊の責任を自覚すべき――「日雇全協」やあるいは、朝鮮反革命戦争粉砕として火急の戦略課題である日朝労働者人民連帯・共闘などをめぐる領域など、念頭において述べている)。

★★※※……(以下は加筆)

 以上、☆コミューン研究☆№001、№002、№003、№004、そしてこの№007にて、獄中提起『行動委員会と党建設』の総論部分をすべて再録・加筆して再提起しました。上記の最後の数行に書いたように、全力で討論提起したいテーマがいくつもありましたが、今ではそれは(第一に▽▽の黙殺によって、第二に私の決別によって)不可能になりました。無念に塗り固められた「内部討論」の思いは獄中の私をいつも絶望の淵に立たせて苦しめていました。が、外部者になった私は、もうその無念の大部分は私一人の中に閉じ込めたままにする以外にないようです。このブログを「単なる暴露」の場にするつもりはないからです。ただし、他方には「日雇全協」や「全障連」の歴史や、消滅させられた「争議共闘」の展望、「革命的日朝(朝鮮人民)連帯戦線」の歴史と展望、「学生運動」などについては、この総括提起と関連する範囲において書き記さねばと考えています。獄中提起『行動委員会と党建設』はそれらの作業を中途で終えてたくさんの課題は残したままです。必要に応じて、今後の未完の各論・再提起の中で加筆しながら明らかにして、何らかの形で今後の諸大衆運動の前進の「武器となる総括提起」となるよう努力しようと考えています。

 今回は以上です。(加筆は以上)……※※★★