☆コミューン研究☆  労働者自身の事業による解放のために

″労働者自身の事業による解放″を目指す一労働者のブログです

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■■☆コミューン研究☆ No.011

 『行動委員会と党建設』

  (継続して新規に記述するもの …の、【その②】)

■★■続Ⅰ いわゆる『映画問題』

 「歴史の概観、および報告してきた主な文書の抜粋 …の②」■★■

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□■□(その3)04-05年の「寄せ場」越冬闘争を目前にして、某紙上に公表した『闘争基調』として提起した小論、……それに加えて、この闘いへの連帯を準備していた主に学生の「同志たち」のために『小論の趣旨説明』を付記したもの、…を掲載する。

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 ★★※※……

 この小論についても「前書き」を添えておきます。この小論は、私が夏と冬に必ず記すようになった「寄せ場─日雇い労働運動・基調提起」のひとつであったが、東京の学生の学習用に「提起公表した小論にさらに趣旨説明を加えた」ただ一度の試みの、その全文です。

・ で始まる文章が紙上で公表したもの。

※※※ ではじまる部分は、上段の文章の趣旨説明、という構成になっています。

 なぜ今回、あえて本ブログに掲載するのか。それはこの小論に忘れがたいケチがついたからです。

①この小論は「同志」たち全体に、誰にでも、と東京に託したものだったが、学生以外の誰にもその「私の託したこと」は伝えられず、したがって誰の眼にもふれさせられなかった。

②学生には「ぜひ読むように」と、預けていたはずだったが、それは他の……過去も当時も今現在も典型的なイエスマンである……CCなる者にいったん取り上げられ「検閲」され、その上で「問題なし」となったものの、学生自らが要求するまで学生にも渡されなかった。私はのちに学生▽▽会にこの「検閲」行為と学習活動への妨害行為について抗議したが、「検閲は当然」と却下された。

……愚かな私はそれでも「自分が検閲対象」と危険視されているとはいまだ気付かなかった。

③そうした不穏な「活動」の直後に、東京の「指導」が福岡で越冬をともに闘う同志たちの活動に多大な支障を与え、「地区からの抗議」が沸き起こったのだが、これがあたかも「A(私)がしかけた混乱だ」と▽▽▽では独善的に断定され、「Aは自らの議論方法の誤りを自己批判する」「▽▽は地区の闘いを共有するための全組織的議論を起す」となり、…そうして、Aは(不本意を含みつつ)自己批判したのだが、対して▽▽は「その問題は終わった」とか「これからやる」とかの欺瞞的態度のはてに一切の約束を果たさなかった。

④▽▽▽が約束したこと、それは「日雇い労働運動、日朝連帯運動、部落解放運動、「障害者」解放運動などについての不努力を▽▽▽として自己批判し、全組織的議論を開始する」ということであった。………残念ながらその確認の履行に執着したのは(にわか▽▽の)私だけだった。それは履行されなかった。私はその後何度も議論を要求した。……(当時は「同志たちの不誠実」は想像もしなかったが、)……「投獄・出獄の帰還に進行していた事実上の粛清」という事態に直面して以降、……さすがの愚かな私も、やっと「私が彼らの邪魔者であったこと」に気づかされた。

 「▽▽▽は自己批判する」という▽▽▽の常套句は「誰かをやり玉に上げる」という意味であり、イケニエまたは粛清ほどの意味でしかなく、「自己批判の以前から以後へと生まれ変わっていく」という真の意味で実行された試しは(少くとも尊敬するH氏の逝去以後の▽▽▽では)一度もない。

………今日に至る「決裂」は、内容または路線上は、そのように時間をかけて醸成された結果である。この小論は、その出発点的な位置にあると思うので、私自身の検証のためにも、ここに再公開した。

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04-05寄せ場越冬闘争基調 ■基調提起の趣旨説明(※印部分)■

《 04-05寄せ場越冬 〈総翼賛化〉の反革命一体感に逃げ込むKMTグループを解体し、越冬勝利から〈全運動のソビエト的飛躍〉へ! 》

   ※※※ 全体をつらぬいて、階級決戦前夜の拠点攻防を端的に示す表現が必要であると考え、これをわれわれの決戦戦略から言えば〈ファシズムかコミューンか〉であり、闘争主体的には〈総翼賛化かソビエト的飛躍か〉なのだとして表現しています。

本論のこのタイトルには、ひとつに「全運動のソビエト的飛躍をきりひらき、階級決戦=蜂起を射程に入れ、ここに目的意識的に進撃していく獲得目標をもって根期越冬闘争に勝利しよう」と、ふたつに「総翼賛化へと屈服して白色テロやレパ(※レッドパージ)の尖兵となった全潮流をふみしだいて強大な党・統一戦線・共同戦線を現実に組織していこう」という提起をこめています。

■「蜂起─コミューン」きりひらく越冬闘争の圧倒的勝利へ

日帝の対イラク戦争参戦と朝鮮反革命戦争突撃下、破防法─革命党壊滅を核心的攻撃とし、天皇(制)攻撃を頂点とした差別主義・排外主義攻撃を総展開した(反革命の側からの)階級決戦が煮つまっている。

・さる十二月二日には大阪府警西成署に対して釜ヶ崎労働者数百名が押しかけ、瓶や空き缶などを投げつける実力決起を開始した。警察による労働者暴行の事実に居直る西成署に蓄積された階級的怒りが爆発したのだ。われわれはこの闘いに断固として連帯し結合する。労働者階級はいかなる制動も必ず突破する。

   ※※※ 12.6千葉の収用委員会再建粉砕闘争の場で蜂起派が「釜ヶ崎で千名の労働者が決起している。これに連帯する闘いのため、本日の闘いに寄せ場で闘う仲間が結集できていません」と「表明」したことを受けてブル新報道を確かめています。新聞によれば250名の労働者が西成署を包囲して闘った、とあります。いきさつは、金銭トラブルの仲裁を求めて西成署に行った労働者複数名がそれぞれに警察官に暴行を受け、しかも労働者たちの抗議に対して「階段で転んだのだ」などと見えすいたウソを並べたてたことに対する階級的報復が闘われたようです。いまや「釜日労」の名も返上して「釜ヶ崎反失連」として行政の手先となることを表明している者たちによって、この自然発生的な労働者決起は「収束」=解散させられたようです。われわれ▽▽派にとっての〈弾圧・テロの集中砲火〉は、例えば釜ヶ崎労働者にとっての〈権力と転向分子どもによる挟みうち〉であるということが示されていると思います。したがって例えば釜ヶ崎にも〈闘う労働組合・行動委員会〉を出現させなければないのだ、と痛感します。必ずや「より戦闘的革命的な日雇全協」を生み直して数百万失業・半失業労働者の全国センター建設へと突撃するという決意をこめて、また同時に、実際に失業・半失業労働者はこうした闘いに続々と呼応し突撃するであろうという確信をこめて「労働者はいかなる制動も必ず突破する」と記しました。

・全戦線・全領域で激化する〈弾圧・白色テロレッドパージ〉も〈総翼賛化〉の大合唱も歴史的階級的な反転攻勢の序章にすぎない。

   ※※※ ここでは、つまり〈弾圧・白色テロレッドパージ・・・総翼賛化〉が、まず第一に、プロレタリア人民の戦後的戦闘性を発揮し得た諸条件そのものを壊滅させる攻撃として、第二に、プロレタリア革命党排撃と壊滅の攻撃としてある、という認識を基礎にすえています。

その上で、例えば社会党・総評や解放同盟中央など、あるいは新左翼系の拠点的労働運動なども含めて総屈服の道に追いつめられているが、この過程で必然化している革命党・革命的大衆運動に対するレッドパージにひるむことなく、ひとつに〈断固としてレッドパージを許さないこと〉、しかしそれだけではなく、ふたつに〈○○○の牽引する革命的共同戦線を…人民総武装=蜂起の陣形形成をなしとげる目的意識性・計画性をもって…建設していくこと〉が決定的に重要だという認識にもとづいています。

「反転攻勢の序章にすぎない」と提起したのは、何よりこの敵の総攻撃こそが、労働者人民をして「闘わねば殺される」切実な実感と戦闘力の火の玉へと育てずにはおかないし、この死活的階級的怒り・闘いとわれわれ革命党がいかに…その闘争・組織建設の格闘をとおして!!…いかに結合しうるのか否かこそが決定的カギなのだ、という提起です。

・「プロレタリア革命に対する現実的な恐怖の中で(ファシズムを)登場させ」「国民経済のいきづまりを…反革命戦争…によって打開」しようとする「ブルジョア統一戦線」(※※「桧○論文」)が総展開している。圧倒的な階級的怒りを内包する全国の日雇い・野宿労働者の今期越冬闘争は、新左翼労働運動を含む全階級戦線の壊滅をもくろんだ敵日帝による暴力的な〈総「臨時」化=団結の条件そのものの破壊〉をテコとした総翼賛化攻撃に、歴史的逆襲を叩きつける。急上昇で進撃する○日労運動を拠点とし波及原点とした実力闘争の爆発は、必ずやこの地上に〈就業労働者と失業労働者の結合・協力〉(「資本論」)で「資本家に悲鳴を上げさせる」(同上)闘いをきりひらく。

   ※※※ 「桧○論文」の「ブルジョア統一戦線」という用語をあえて借用しました。(私の○○○(※地区のかつての組織問題)○○○総括にもかかわるのですが)KMTグループにせよC派にせよ、昨日まで新左翼労働運動の旗手たりえた者にせよ、今日では、あるいは明日は、「戦闘派」の外観さえ維持できず「総翼賛化」の奔流に(すなわち「革命と反革命」の「反革命」のがわに)のみこまれていく冷厳な階級分岐の現実の前に我々は立っている、という認識が前提です。例えば国鉄・本山・狭山で現出している事態について言えば、全政治勢力が「反革命の道へ」と、この流れをあえて我々も冷厳に「ブルジョア統一戦線」の成熟過程として直視し、(当面、共闘的・競合的関係である一方で)対決的関係、止揚・突破の対象として相対しなければならないのだ、という提起です。

反革命」への道をひた走る者たちが「労働者人民の指導者」たりえない以上、我々は一刻も早く現実の関係性としても「労働者人民の指導者」として認知されていくプロレタリア革命党の建設に突撃しなければなりません。こういう切迫性をこめて「○○○○○統一戦線」建設の重用性を強調する意味で「ブルジョア統一戦線」という用語を使用しました。

その上で敵の攻撃と我々の反撃(方針)について、「暴力的な〈総『臨時』化=団結の条件そのものの破壊〉をテコとした総翼賛化攻撃」と「実力闘争の爆発・〈就業労働者と失業労働者の結合・協力〉」と表現しました。これは(※KMTグループの機関紙=)「崩壊」によるケチ付けに対する再度の叩きつけでもあります。

 別の視点で言えば、マルクスが「資本論」で相当量の分析をもって〈就業・失業の結合〉を言いきったことの普遍的意義、○日労運動が実証してきた失業・半失業労働者の革命的エネルギー、その三里塚で示した波及力、あるいは韓国階級闘争の今日の爆発力となっている非「正規」労働者の革命的エネルギー…などとして突出してきている闘いに対して断固として戦略的に対象化し、我々の決戦戦略の貫徹・プロレタリア革命の正否に直結する革命的中期的計画的な闘争・組織方針の確立が急務となっていることも示唆しています。

・八〇年代中期に開始された〈寄せ場(労働運動)解体攻撃〉の尖兵に転落した路線転換グループを蹴ちらして九五年に革命的に再編された○日労は、九九年から福岡拠点に潜入し御用組合方式で「○日労」を【セン称】して敵対してきたニセ「組合」=KMTグループをも包囲・解体し根絶する布陣を整え、跳梁を開始したファシストどもと串刺しにして撃滅・打倒する戦場に突撃している。

   ※※※ 寄せ場、日雇い・野宿労働者の闘いを語るとき、つねに意識しているのは上記の「寄せ場(労働運動)解体攻撃」です。これとの攻防こそ本質的攻防であり、これに勝利していく闘いとは「日雇い労働運動」をプロレタリア革命にまで貫きとおしていく闘いをもってしかありえません。言い換えれば「体制内運動・路線」においてはけっして「寄せ場解体攻撃」を直視し対象化することができません。「体制内運動」はせいぜい「あたりまえの労働運動」などを口実に、ただ「人民総武装」から後すざりしていくのみです。KMTの山谷での「除名・脱退」「手打ち」という政治手法はこの攻防からの逃亡を示しているということです。

「包囲・解体、根絶」の「包囲」とは「労働者階級による包囲」の意味です。〈ファシズムかコミューンか〉を決戦的に直視するとき、とりわけ「下層」の労働者人民を「ファシズムが集約するのか、共産主義が集約するのか」、革命的に組織しうるのか否か、が決定的になるでしょう。今日の○日労運動の日々の格闘はその勝敗を決する試金石であるとさえ考えています。この闘いを(直接にはKMTグループに対して、間接にもファシストに対して)「包囲する」闘いとして軽視してはならないと提起しています。

・この闘いは労働者階級が「労働者階級自身の事業」として、闘争的にも組織的にも〈人民総武装〉を獲得し、「蜂起 ─コミューン」に進撃し(世界革命の一環としてのみ勝利しうる)プロレタリア革命に勝利し共産主義社会を建設していく闘いである。

   ※※※ 「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業である」という原則の意味は大きく二点であると考えます。第一は「闘争の核心的主体は労働者階級であり、(世界の)労働者階級の(ひとつの)利害に秩序づけられた闘いでなくてはならないこと」であり、第二は「労働者階級は自らの解放とひとつのものとして全大衆・人民の解放をみずからの革命的任務として目的意識的に闘わねば(分断を突破できず)撃破されていく」ということです。

我々が三里塚・狭山・国鉄・本山などの共闘あるいは(我々が内在して推進する)大衆運動を展開し、またこれらを牽引していく党と統一戦線を建設していくその全領域で自己検証すべきことが上記の定義に凝縮されています。

多くの不十分性と限界・課題を抱えつつも、今日の○日労運動の推進にあたって緊張してきたものは上記の原則であることを表明しています。○日労の労働者が「本気で権力と闘う」とか「横一線の(水平の)団結」とかの言葉で表現しようとしているもの、とりわけ若い労働者が「福岡だけで闘うつもりではない。どんな差別も許さん。どこででも闘います」と表現しているものを、我々はがっちりと共有し、よりとぎすまされた総路線として結実させ、その地平においてまた内在的推進を闘っていくのだと考えます。

そして結論的に、闘いの目的意識的な指標(メルクマール)として「人民総武装」「蜂起─コミューン」「世界革命」「共産主義社会建設」をいつでもきっぱりと(大衆的に)提起していくことだ、と提起しています。

・「消極的なルンペン・プロレタリアート」(「共産党宣言」)についての革マル・KMTグループ好みの反労働者的悪意は、現実の失業(半失業)労働者運動の革命的進撃によって革命的に打倒・止揚され廃棄される。今期越冬闘争の圧倒的勝利をバネにして革命的寄せ場労働運動は〈三里塚へ!三里塚から全領域へ!〉の革命的進撃をなしとげる。いっさいの反革命敵対を粉砕して越冬闘争に勝利しよう。

   ※※※ 「党宣言」執筆時の(特に「下層」の)労働者の闘いの未成熟に規定されているのだと思いますが、マルクスの「消極的な(=みずから革命的闘いを組織できない)労働者」観の未熟な混乱が表明されていますが、他方あくまでもマルクスの思想の生命力は「(資本の下では)鉄鎖のほかに失うべき何もない」プロレタリアートの歴史的意義を鮮明につき出しえていることにあります。上記の「混乱」は「資本論」ではきっぱりと止揚されているということです。

この「下層」の意味を尊大に見下した思想こそはブルジョア思想なのであり黒田・KMTの反革命思想の根幹をなしています。我々がこの反革命どもを解体するという闘いの意義は、同時にこうした反革命思想に徹底して対決しきることをもとおして圧倒的労働者の決起と革命的階級形成をなしとげていくということです。奴等に対する「理論的処刑」は、こんにちでは「現実的階級的処刑」目前の段階に到達しようとしているし、そのように促進していくということです。

三里塚へ〉が04年の○日労の端的な格闘成果であり足跡でした。今や我々は〈三里塚から全領域へ〉と提起します。具体的に言えば、〈三里塚で一挙に反対同盟の闘いに触発され「障害者」解放闘争・「病者」解放闘争その他の闘いを共感・共有した労働者〉が〈全国・全戦線・全領域に突撃したい〉と「生き、闘う戦場」を求めています。この革命的エネルギーをさらにさらに組織し、革命党の責務にかけて〈次の闘争・組織方針、拠点建設方針〉を提起していくということです。

実際、○日労労働者の三里塚集中闘争に触発されて全障連○○ブロックの戦闘的「障害者」が援農闘争に決起し、そしてまた戦闘的「病者」が援農に決起しててきました。感動は感動を呼び、勇気が勇気を呼びおこします。○日労を戦闘に突出させてきた、あるいは反対同盟が全人民の(まさに)「前衛」としてふんばってきた闘いが「障害者」「病者」の感動的決起と共鳴して〈ひとつの連鎖反応〉をおこしてきたと言えます。この闘いこそ敵支配階級がもっとも恐れているものであり、この闘いの発展こそ〈全運動のソビエト的飛躍…二重権力的団結…蜂起・コミューン 〉をきりひらく力です。この力を守り、拡大して(三里塚のみならず)全戦線を革命の側から揺り起こすのが05年の闘いです。我々以外の一体誰がきりひらきうるだろうか!!です。

■戦争とファシズムに対決する〈労働者・被差別大衆人民の革命的共闘〉へ

(★※…手元にあるデータが不完全なため、以下は省略します)

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□■□(その4)

07年10月…▽▽▽への内部討論提起のための文書

★★【前置き】

……※※支配階級や労働者の敵どもがその極悪煽動の素材とする危険をできる限りり排除するため多くは「省略」したり、「項目のみ」としたり,とした。内部討論用なので分かりにくい部分は必要に応じて★★を示して「注」を書き加えた。

………

 全般に言えば、私はこの07年末に至る時期に相当の決意と努力で▽▽▽の歪んだ議論に渾身の批判を行った、という記録である。こうした議論が未完・未回答のまま私は08年5月からは弾圧粉砕の闘いに集中する他ない状況になり、そのまま09年2月不当連捕以降の2年半の獄中闘争に入り、まさにその間に獄外では「A(=私)は差別者であり排撃者であり大衆運動破壊者である」という「判決文」…しかも欠席裁判(!!)の…が配布されて、決死の獄中闘争から出獄直後の三里塚の戦場で「どのツラ下げて来れたのか」という罵声あるいは無視黙殺まで浴びることになった。弾圧報告の集会で冷酷に私に黙殺を浴びせた「闘う弁護士(!?)」さえいた。獄闘下で反対同盟に宛てた連帯の手紙は握りつぶされて届けられなかった。私の活動の真実を記録していた膨大なSDカードデータは▽▽▽に勝手に回収(!?)されていて二度と私の手には返されなかった。地区で30年ほども信頼関係を積み上げてきた労働組合に行くのも、「障害者」の介護に行くのも▽派遣CCの「許可」を必要とされた。私がすさまじい獄中テロに血を流して対峙していた時に、「判決文」は……なぜか前述の労働者氏にだけは一切を隠した上で……広く配布され煽動され、私への包囲が完了されていた。・・・要するに「弁明の機会」のはるか以前に私は「罪人」の烙印を焼き付けられていた。【処分】は「決定」の前に「実行」されていた。

 一体、君たちの「スターリン主義」批判とは、「公判前整理手続」批判とは、どれほど底が浅かったのか!?

 私が出獄直後にCCに言った「投獄中の同志を欠席裁判にかけた組織は二度と弾圧と闘えないぞ」という警告を忘れるな。

 恨みつらみ…というほどの末練も、実はもうない。出獄から約1年の討論と文書作業の中で、「部落差別発言の自己批判文は書けている。それでも自己批判表明のために当該に会うのは待て」として半年も放置(阻止)される不可解な事態に加え、「排撃者」と断罪されたことの私からの全般的な報告文を放置し無視したまま(『映画問題』めぐる前述労働者氏の全力かけた批判提起を直接に聞いて組織的自己批判を「約束」したはずのCCと▽▽▽メンバーらによって)…「映画問題はA(私)が持ち出したもの」…なる悪意に満ちたデマ文書を作成し、しかもこれを「統一戦線の(いわば下からの)同志たちの名で配布する」などというスターリン主義そのものの自作目演の一片の紙片を準備したこと。…愚かな私もさすがにこの時、この卑劣な者たちは労働者解放には完全に無縁であるか、すでに生命力は朽ち果ててしまった、と確信した。

 ▽▽派にて闘いを継続している情熱ある若干の(比較的若い)同志たちと腕を組んだ思いは変わらない。だが無念だが、獄中の2年半の国家・監獄の「壁」は、出獄後も▽▽▽による実質処分の無期限の「壁」となって継続された。前者の「壁」などものともしないが後者の「壁」は死よりはるかに絶望的である。

 こうして▽▽派の(尊敬するN氏やH氏を軸に営まれてきた)理論的営為と、かつて交わってきた若い情熱たちとは今も心に共に在る。

 あえて明言するが、私は「追われた」のではなく…保身で歪んだ▽▽▽を、スターリン主義への変質を…「見限った」のである。

 ▽▽▽が毎度毎度、紙上に「貼り付け」ている『労働者解放?』だの『自己批判』だのといったその耳ざわりの良い空手形の何と薄っぺらで無内容なことか。その看板は完全に偽りである。

 そうした破廉恥な結末に至る、以下はその渦中の提起文書です。【前置き、以上】

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日帝反革命戦争突撃下、翼賛化攻撃総屈服の尖端におけるKMTグループ発生めぐる全党的自己批判作業として

闘争・組織・思想の全領域をめぐる綱領深化・討論に向けての提起  07年10月

――当面可能な課題整理のみ――

①【〈永続革命・世界革命〉―マルクス主義の復権についての鮮明化】

「 発生以来、KMTグループがたった一度も「永続革命」を口先にも出さないのは、第一に「戦略」的には、「二段階戦略」すなわち「当面はブルジョア革命をめざす=日帝支配階級と共存(=日帝国家権力打倒の質をもった実力・武装を解除すること)を前提に『民主』主義・『改良』主義―全世界労働者・人民の革命的決起に対する総屈服と総敵対」が反革命「綱領」(=転向反革命の掟)として明確に意志一致されているからである。

 時折、▽▽派を偽装するために「プロレタリア革命につらぬく」などと書いても、もはや反革命転向と同時に「本音と建て前」のご都合的二元論が「心地よい」この者どもにとっては「自己欺瞞と白色テロ衝動」である以外に何の意味もなさない空手形である。

 第二に「思想」的には、とりわけ「革命の現在性」=「労働者階級(と被抑圧・被差別―全人民)の対資本・対権力の現在的突撃力(と止揚力)の何たるかを一ミリも学ばないゆえに『―階級的自己批判と階級的飛躍なき―小ブル特有の危機感・絶望感(=闘う労働者・人民に対する嫌悪感)』にまみれ、〈資本制支配への敗北感と、差別糾弾闘争を含む労働者人民の闘いへの嫌悪と憎悪〉がますます固着しているということである。

 ……今や闘う「病者」「障害者」に対する差別虐殺さえ放言し、こうした差別攻撃に対する差別糾弾闘争を指して「糾弾は人殺し」とさらに敵対を重ねている。

 この者どもの言う「糾弾=無意味」論とは正確にこの「糾弾=恐い」論として叫ばれているのである。部落差別をはじめとするあらゆる差別主義を含み労働者階級の永遠の支配・隷属を願望してやまないブルジョアイデオロギーの信奉者どもが、鎌田ら反動「文化人」どもと競うように狭山闘争現場に潜入しては「ビラも書けないやつは来るな」「ソーギ屋(葬儀屋)」などの差別主義者の言辞をばらまき、ことさら親権力・親ファシスト・親融和勢力の証をたてているのは明確に〈狭山―部落解放闘争の破壊〉を仕掛ける反革命意志一致のもとでの所行なのである。」(07.10.31狭山「原稿」から)

 上記を提示したのは、こういうふうに何よりもKMTグループの転落=転向反革命と現在にいたる――特に度し難いほどの極悪差別主義を先端とする反労働者(人民)性を満開していく――反革命展開についてどう解明し、では我々にいかなる自己批判と飛躍が問われているのかについて、このあたりが最重要の視点となると考えているからである。

 ソ連邦崩壊と新左翼をふくむ総屈服の進行の先端で★(注)90年を前後する脱走問題★は発生した。

 当時、対策し整理すべき諸問題についての一定の活動はなされてきたと記憶しているが、しかしKMTグループ発生までくぐってきた今日の視点からとらえ返せば、こうした国際共産主義運動のスタ的展開がいかなる末路に至るのかをも見透かしうるほどの▽▽派の綱領的「力」は当然あるにもかかわらず、やはり「マルクス主義の終焉」をつぶやき始めた諸勢力やエセ「学者」どもと同次元の絶望感にまみれて▽▽派の総路線を破壊しつつ逃亡していく★(注)上記の脱走問題★をも発生させてしまったことは、▽▽派の〈永続革命・世界革命〉ということ、あるいは〈労働者階級自身の事業〉ということについて「承認している」だけではなく「現実の闘争・組織・思想めぐる全活動として形成している」のか否かとして、全党全潮流の総括討論が必要であっただろうし、しかし当時からKMTグループ発生にいたる過程ではこれをなしえなかったというべきではなかっただろうか。

(私は、当時の▽▽▽的な対策・総括討論の実状は知り得ないので、

少なくとも90年代学生戦線においては―首都圏を中心に―)たとえば「西日本では『対革マル戦がやれない』ということで★(注)上記の問題★が発生した」という(現象の評論としては当たってないこともないが)主体的総括としては無内容きわまりない論調だけが聞こえていたことと、当時からKMTやサカイやらが随所で内糾地平とはほど遠い雑談にふけっていたことや、一部「労働者指導部」においても「やっぱり被差別ではなく労働者なんだ」「生協労働者や日雇い労働者というのは遊び人だ」といった対置的分断的精算的敗北的にも聞こえる雑談をやっていたことなどが、…私としては…これらを粉砕できてこなかったこととKMTグループ発生を許したことが直線上にある自己批判すべき痛恨の記憶としてあることを根拠に…そう感じている。

 スターリン主義の破産(と崩壊)の末路はいわば必然であり、また〈口先ではスタ批判を口走りつつもこれを根底から突破する「永続革命」を定立できない諸潮流〉が動揺し転向の道を準備していくこともいわば必然であるが、▽▽派において動揺や混乱が生まれる場合は〈定立してきた「永続革命」路線が党と潮流の全活動をとおして明瞭に組織化しえてきたのか否か〉が問われるという次元の問題としてあったと考える。

 この間、「獄中小論集」の特に「定礎(党建設論)」部分や「獄中者組合」関連部分や「木陰OO」論文あたりを引用紹介したり参考にしたりしながら私としての諸課題整理や闘争指針の提起を行ってきたのは、こうした論文活動に★(注)上記の問題★についての正面からの総括や(あるいは現段階的な内糾総括と方針)やそれにもとづく組織論が教訓的にあるいは示唆的に提示されていると感じているからである。

 そして、これらで提起されている重要部分のほとんどがKMTグループ(あるいはKMTグループ発生前史を策動し準備した者どもにはまったく欠落しているか対立した内容であったことにも当然注目してきた)。

 しかしひるがえって現在の我々自身において上記論文等で提示されてきた諸教訓がどう意識化されてきたのかについても私は多くの疑問を感じている。

 総じて、上記論文などの総括の格闘はありつつも、▽▽派総体として「このように提示されている総括視点についてどう全体化するのか否か」についての真剣な格闘がなされなかったと思う。またこれは「KMTらが理論活動を軽視してきた」というやつらだけの専売特許にしても当たらないと思っている。

 問題提起の次元は異なるが、KMTグループ発生をめぐって「KMTは元々▽▽派ではなかった」とか、…(中略)…というような短絡的な言い方を少なからず耳にしてきたし、実は今でもたまに耳にしているのだが、「かくかくしかじかの内容において、厳密には……であったとも言える」などといった誤解のない論議ならともかく、そうではなく「ぽん」と出てくるのである。

 比較的に若い同志たちが聞いた場合「本気でKMTグループ発生の総括をしようとしているのか」という苦情が聞こえてくるのだが、まったく当然のことである。

 「――いかなる限界はあれ、またあれこれの限界を抱えつつ決起した以外の『神』のごとき同志がいるとも思えないが――〈かつてそれなりに▽▽派構成員として闘おうとしてきた者〉が、何らかの困難の中で屈服過程に入り、そして〈今は▽▽派の全内容に敵対している〉といった」、そういう例はいくらもあったし、またありうることである。

 私自身も含めて、誰もが、熾烈化する階級闘争の時間と空間の中で闘っている「生もの」のように感情的にも山も谷もくぐりながら闘っているし、「ある瞬間の自分が戦闘的であったとしてもある瞬間の自分は日和ってしまった」と振り返ることもしばしばである。

 要するに、そういった「あれはもともとこうだった」という論調には必ず主体的(自己批判的)総括の格闘が回避されており、もちろんすべてがこういう次元になっているとまで言うつもりはないが、しかしそろそろ「正面からの本格的なKMTグループ発生総括」に突入しなければ、いよいよ(私をふくむ)全構成員が、同志としての「共通語」さえもてない状況に叩きこまれ、不毛な「対立」を繰り返さざるをえなくなってしまうのではないか、という危機感がある、ということである。

 この間の▽▽▽同志間の討論でも「観念的労働者存在主義」そのものの言動がとびかったことさえある。…(中略)…

 「観念的…」ということについても、要するに「この同志にとって『永続革命』あるいは『革命の現在性』という視点において、つまり『プロレタリアートの現在的突撃力』という視点において、あるいは『プロレタリアの革命性とは何か、それをどう組織していくのか』という格闘をするつもりがあるのか」という疑念が日々襲ってくるような日常的な討論水準の低さ、または欺瞞が横行していることの危機感もふくめて、今こそそういった綱領的原則を我々はなぜ原則としているのかについて明瞭にしていく全組織的な討論が組織化されなければならないと考えている。

②【「プロレタリア階級」とその「革命的根拠」について―神秘的存在主義を突破して―鮮明にしていくこと】

 我々は「M大拠点総括」を中心にしたKMTグループ発生巡る自己批判的総括を一定格闘してきた、と言えると思う。

 KMTグループ発生にいたる過程での打撃性について、私が何よりも特徴的なものとして痛烈に感じていることは…(中略)…拠点運動的には〈M大〉であり、〈山谷〉である。

 …(中略)…KMTグループ発生過程そのものを許してしまったことの最大の責任は「▽▽部」にあるはずである。あえて強調することではなかったはずなのだが、しかし、私は「まず学生からだ」という論調の中で、例えば端的には「誰もKMTグループ発生前史の山谷展開について―KMTグループ発生からとらえ返せば―どう整理していくべきなのか」について誰からも提起されないし、ほとんど問題にすらされてこなかった状況の中で、他方で「『寄せ場』―○日労」を論じ展開してきたのである。

 労〇〇★(注)▽▽の某会議★における「KMTグループ発生以前の全国労研と寄せ場労研との露骨な分断状況」の――★(注)つまり、山谷や全国寄せ場ー日雇労働運動については▽▽▽では長らく「KMTまかせ」と「無関心」によって【KMTのやりたい放題、KMTの私的分裂拠点づくり】を許して、日雇全協をはじめとする大衆運動の重大な破壊をもたらしたこと!!★ーを私として自己批判的立場を表明しつつの――討論提起(した)にも(かかわらず)、はっきり言えば(すべての労働者同志からは)空返事しか返されてこなかった。

 「困難」であることを責めるつもりは毛頭ない。だが共有し整理していくことをとおして、その問題意識を共有しつつ現在的な労働運動方針を討議していくことは絶対的に必要なはずである。

 何よりも「分断的状況があったこと」それ自身が自己批判的課題であることは明確なのではないのか。

 他方ではKMTグループが「寄せ場に関心もなかったくせに」と毒づくとき、――反革命どもは反革命利害から言っていることは前提的に押さえておくとしても――部分的な「うらみつらみ」の言動としても、ここに触れる「何らかの総括すべき状況はあった」だろう。むしろこうした反革命どもの「毒づき」を耳にしながら、これを正面から(総括すべきは総括しつつ)粉砕する闘いに誰もが決起して当然なはずではないだろうか。

 そういう意味でも「山谷総括」が(▽▽部を先頭に)正面から課題にすえられなかったこと自体に私は納得していない。

 (あまりに不完全なものではあったと思うが、私は相互に共有し討論しうるために「ルンペン・プロレタリアートについて」レポートしたこともある)。もちろん「学習成果」の披露が目的ではなく、「寄せ場」に関する格闘を共にし、この総括をとおしたKMTグループ発生総括として共に深化したかったからである。

 このレポートにおける一個の「結論」として「(マルクス自身の限界と克服過程ということを念頭におきつつ)『ルンペン・プロレタリアート』と総称されたほとんどの部分は、まさにプロレタリアートそのものである」ということを証明しようとした。

 異論があればあったで良いが、問題は、あたかも私が「寄せ場」担当のごとく分離されている状況下で、さらにこうした問題提起をもっても無反応のうちに「問題意識そのもの」が忘れ去られていることについて、「私は強烈な孤立感の中にある」と訴えてきたのである。

 重ねて言うが「困難なこと」を無理強いするつもりは毛頭無く、ただ「問題意識の共有」から一歩ずつ共に前進していきたいということである。

 実際、私としては「寄せ場」をめぐって必至に格闘してきたつもりだが、しかし強烈な分業主義の中での私の「格闘」であるかぎり、(極端に言えば)そんなものはただ私の不在または死とともに、▽▽派の闘いのどの部分も構成することなく消滅していくということである。

 実際はいくらかの同志たちが私の視点を参考ほどには(批判的にも)共有してくれているとも感じているので、それはとても大切なものなのだが。…ともかく、KMTグループ発生から8年。山谷を対象化し組織したい、と言う同志がほとんどいないという▽▽派の現状だがそれはそれでやむなしとすべきなのか。

 先述したが、こうした状況と一つのものとして「一部の▽▽部同志」の露骨な「観念的労働者存在主義」をもっての私への「ぶつかり」を幾度となく経験させられてもいる。私は、こうしたことはある意味でその同志に特別な例だが、ある意味ではそういうことが通用する土台が▽▽派の現状としてある、という両面の緊張を持って見ている。

 また私自身の一つの確信として、「★80年の脱走集団★が神秘的労働者存在主義であり、★90年の脱走集団★が(やや強引に言えば)神秘的被差別存在主義であり、KMTグループはそれらで露出した無内容を『力』に小ブル政治主義をうち固めた」のだと考えてもいるし、「『労働者の気持ちがわからんやつ』『部落民の気持ちがわからんやつ』などの徹底した罵倒を受けつつも★私が90年脱走集団と★決別し対決してきたのは(空疎な小ブル政治主義によってではなく)観念的ではない現実の労働者・被差別大衆の利害に立つことにおいて観念化・神秘化をふりまいて逃亡する★90年脱走集団★と対決する、としてこれたからである。

 我々のうちで、「労学連帯」と言うとき、ある同志の主張をよくよく聞いていると、じつはその同志においては「学生同志の労働者同志に対する関係」だけがイメージされて提起されていると感じて困惑することも多々ある。少なくとも私にとって「労学連帯」とは――「反産協」ということ★=産学協同路線粉砕!!…という綱領スローガン★に照らして言えばあまり本質論的な用語ではないとも思っているが――

 まず第一に学生戦線として「現実に資本・国家権力との関係で死活的状況を強いられ、また反逆し、あるいは反逆するエネルギーを爆発させんとしている階級たる現実の全国・全世界の労働者の闘いに応え、連帯するということ」である。

 第二に、その現実の階級の死活的決起を体現している労働者同志との同志的共闘・連帯のことである。

 この順序が逆転もしくは「第一」が欠落している場合は、どうしても「政治主義的態度」の問題に歪曲されていくと思う。

 また「現実の生きた労働者の階級としての呻吟と反逆」を「生きた現実のそれ」として正面から問題にしていく格闘がない場合に「KMTグループ学生運動の本質は階級性の欠如だ」と言っても、何か言ったようでも、我々自身の中に「KMTグループ学生運動」を突破・粉砕して階級的に進撃する何を生み出したことになるのだろうか、という疑念もある。

…(中略)…

③【「解体・根絶戦」と「攻勢的防衛闘争・共同防衛闘争」の意義を鮮明にすること】

・〈誰が誰を防衛する〉を越えた〈革命を防衛し反革命を打倒していく〉攻勢的(共同)防衛

・(完黙・非転向貫徹を基軸とする)攻勢的獄中闘争

 …〈建軍―武装闘争路線〉と〈非合法革命党建設〉

 …〈革命党と統一戦線・共同戦線建設〉の強化・拡大

④ 【「獄中者解放―監獄解体―『犯罪者』解放」の意義を鮮明にすること】

・〈獄中者解放―監獄解体〉―〈国家権力解体・打倒〉の意義を鮮明にしていく

・〈労働者解放―「犯罪者」解放〉というプロレタリア革命の普遍的意義

・「党と大衆」についての区別と連関ということについて、定式化は困難であり冒険であるとしても、様々な経験からの討論と整理を積み重ね我々の党としての内在的推進力を鍛え上げていくことが必要である。

 組織活動方針として。

 例えば完黙・非転向闘争をめぐって「我々にできて他党派にはできない」ことと「我々にできて大衆活動家には(なかなか)できない」ことのそれぞれの「差異」の意味はまったく違う。「なぜできないのか」の根拠の位相が違うのである。そうであれば我々はその双方の場合の差異について解明し、一定の方針化をしていく必要がある。

 私の当面の結論として言えば

  ①「▽▽派は〈プロレタリアートの革命性=《対敵非妥協性=対仲間共同性》〉の立場で闘うゆえに〈『革命・反体制・非妥協』で敵に対峙する生き方・闘い方〉を武器に獄中非妥協としての完黙・非転向を定立しうる」が、

「小ブル党派は〈前衛としてプロレタリアに外在的〉でしかない〉ゆえに〈つねに『逃げ場』としての『体制迎合』を隠し、あるいは露わにする〉ゆえに「獄中非妥協―完黙・非転向」という「武器」をもちえず屈服を必然としている。

 前者の後者に対する関係は〈突破・粉砕〉である。

  ②また「▽▽派=プロレタリア革命派は(上記の)対敵非妥協=獄中完黙・非転向を、さらに党の共同の路線として意識化し、(各同志においてその闘いがいかなる階級的革命的意義をもつかの体得の幅はあったとしても)あらかじめ共通の闘争目標として意識化した出発点を形成しつつ――意識化された武器を携えつつ――獄中闘争に突撃していく」が、

「(我々とともに戦闘的に闘う労働者人民―▽▽派の闘い方を一定は意識化しつつも『党派として共通の前提に立つ重さにおいて共通の獄中闘争の路線・目標を獲得するに至っていない』労働者人民の大衆的活動者が闘う場合)、……

 前者の後者に対する関係は〈日常的共闘における、一方においてその階級的(大衆的)決起の意義を具体的現実的に学び共有していくと同時に、他方において(世界史的なプロレタリアートの闘いの総括と方針を当面の総路線として定立している革命党派たる▽▽派の責任にかけて)―完黙・非転向闘争を含む―プロレタリア革命の総路線をふまえた運動的思想的(拠点大衆運動的)提起と討論、あるいは直裁に総路線そのものを共有していく運動的思想的組織的(同志的)―路線的提起と討論を、生きた労働者の現実と闘いの展望において相互にうち鍛えられていく過程として=『内在的推進』として〉ある。

 …ここでは「獄中完黙・非転向闘争」を意図して上記の整理をしているが、同様のことは例えば「介護闘争―『障害者』解放闘争」を例にとっても言えるのである。

…(中略)…

⑤【KMTグループとは何か。

その本質と発生根拠―解体・根絶の不可避性を(全組織的に)鮮明にしていくこと】

・木元グループ解体・根絶戦の意義

 …①プロレタリア権力樹立の展望をかけた闘い

  ②軍事・非合法の飛躍をかけた闘い

  ③反階級的脆弱性もろとも粉砕し革命的階級形成を大胆に推進する

  ④この全格闘をとおした〈内乱―コミューン〉に突撃する革命党・機関建設

  ⑤戦時下の翼賛・反革命尖兵の解体の中で全人民武装を促進し、全運動の革命的転換をかちとること

・KMTグループ…反革命「綱領」=〈永続革命〉の否定の意味の鮮明化 …プロレタリア階級の現在的暴力的な突撃の否定・嫌悪・憎悪

 …その小ブル政治主義ならではの〈労働者階級の革命的可能根拠〉に対するニヒリズムと小ブル個人主義の必然的脆弱性と屈服

 …その小ブル個人主義における宗派的で独善主義にみちた大衆蔑視→極悪差別主義の満開

 …その対外的な独善主義と内部における打撃主義と分断支配(スタ的官僚主義)

 …「プロレタリア革命(全人民解放)の出撃拠点」との対極に結果していく「ボス交」路線の必然性

⑥ 【人民戦線とプロレタリア統一戦線の区別と対決を鮮明にしていくこと】

・レーニン・ローザの転化スローガンを革命的に継承・発展させる〈蜂起―内戦(革命戦争)〉の総路線

・1930年代国際共産主義運動の敗北 …「左」右両極への小ブル政治主義動揺

⑦ 【「労働者階級自身の事業」ということについての実践的―現実的具体的な意味を鮮明にしていくこと】

・〈打倒力・止揚力〉の問題について …資本とその権力(政府)との日常的暴力的な闘いをとおしたて〈―資本制支配を打倒・転覆し真の共同社会を建設していく―革命的階級の形成〉

・戦時人民虐殺の攻撃下から反逆する現実の生きた労働者階級の突撃力に自他を組織するように闘うこと

・この労働者階級の闘いへの(スタ・社民・革共主義などに示されている)外在性とは区別された―〈永続革命・世界革命〉総路線を定立していく

⑧【全勢力の屈服―路線転換の意味・路線的必然性と対決指針を鮮明にしていくこと】

・〈時代の転換〉において求められているあらゆる課題に真正面から突撃していく

⑨【「革命的団結のうちに革命的に自立した個」の思想を「小ブル個人主義」の対極にてい立していくこと】

 【分業主義を突破していくこと】

・非妥協・実力―攻勢的獄中闘争―完黙・非転向闘争―〈長期・極刑、獄殺を辞さず〉死闘戦思想

・その死闘戦思想の内実として―KMT的、あるいは歴史的なスタ・社民・人民戦線諸派の最弱の環である小ブルニヒリズム・小ブル政治主義を階級的革命的に突破・粉砕する―〈革命的団結のうちに革命的に自立した個〉を実践・思想として定立ていく

・本格的権力闘争の飛躍―〈人民総武装〉―〈全運動のソビエト的転換〉―〈大衆化=革命化〉

・〈革命的団結のうちに革命的に自立した個〉

…(中略)…

⑩【「戦時下の、あるいは〈時代の転換〉下の革命的学生運動の任務を鮮明にしていくこと】

…(中略)…

 

⑪【KMTグループ発生総括の深化の中で、

★その下で攻撃された重大な女性差別事件★の組織的自己批判的総括を鮮明にしていくこと】

…(中略)…

⑫【「獄中漫然」の対極に攻勢的獄中闘争の意義を、総路線の根幹として鮮明にしていくこと】

…(中略)…

⑬【スパイ・攪乱―破壊粉砕の死活をかけて「人民の中へ」を階級的革命的に定立していくこと】

…(中略)…

 ……………………………

〈2〉★ ★★【α討論】★★

 =この時期に《地区と中央、大衆運動と党、私と▽▽▽》などで「ぶつかり」、▽▽▽内で私が孤立しつつ反対討論を試みていたこと★…について

…(中略)…

……また他方、長崎○氏から

〈12.○○についての提案を無視されたこと。それは「労働者の力を軽視しているということだ」という指弾〉を受けてきたこと、

実際02年出獄当時には「○は福岡から逃げた」「○と○が頑張っている」という納得しづらい論調が▽▽▽内と○から聞こえる状況にあったが

「火のないところに煙は立たない」はずなのに

(「犯人捜し」などではなくその「火」元になる我々の労働者観・「寄せ場」観を討論し総括し前進したいのだが)

結局「火」は見えないままに「煙」はまるで自然消滅(?)してしまった。

…(中略)…

また「がんばっている」と評価された○と○は結局〈権力・KGとの密通〉がきわめて濃厚な最悪の敵対分子の姿を現して粉砕されてはいる。

一度は「逃げた」とされていた○氏はみずからの戦闘的対峙線を守りぬいて闘っている。

…(中略)…

長崎○氏の闘いとの連帯は、いわば争議共闘の現実の拡大・波及の引き金になりうる課題であり、かつ現実の緊張関係をもった日朝連帯戦線建設から現実の在日朝鮮人民連帯の戦列を形成していくための引き金にもなりうる課題だ、と私としては主張し意志一致もしてきたが、▽▽▽としての出発点が形成されない上に「A★=私★は独走している」という批判の中で―今となっては無謀であったと考えるしかないが―「関東『寄せ場』展開の提案」や「全障連組織攻防ま準備の提起」などで失速し、強烈な「孤立感・無援感」においこまれる……

…(中略)…

★【最後に】…

 以上で、(その④)07年の内部討論用に提起した文書の掲載を終了

する。また同時に前号☆コミューン研究☆No.10~No.11にわたって掲載してきたものも一段の区切りとする。

 (その④)で抜粋掲載している文書の中では、極めて膨大な文章を削り落とさねばならなかった。この内部討論提起が、当時の(H氏逝去後の)あまりに無内容化した理論と議論のゆえに、それまで実に原則的に「諸大衆運動・拠点建設をソビエト運動として闘う基礎の上に地区党建設を闘ってきた全営為」が、▽▽▽によってズタズタにされていった諸事態に直面して、やむにやまれぬ思いで私が全面的な討論を求めた、そういう必死の提起であった分、今、ブログという形で公表するのはさすがに控えざるを得ない生々しい▽▽▽批判となっているからである。

 またそうして、内部論争的で綱領討論的な発展を期待していたこともあり、かなりくどい説明や論理展開も試みたものであり、……そもそも『映画問題』=『日雇全協破壊の総括』のために、という現在のこのブログの当面の課題をあまりに越えてもおり……、そのあたりも考慮して多くを削ってもいる

 ただし、もし公然たる論争が求められた場合は、いつでも可能な限り復刻する用意はある。

 その上で、この文書の重要性について要点的に示しておきたい。

 ■第一に、この提起は全くの一方通行となり、▽▽▽で正面から討論されることはついになかった。

 ■第二に、この2007年時点での私の必死の提起は、のちの私の出獄時2010~2011年時点でのあの『行動委員会運動と党』へと連続している。

 ▽▽▽はそれらすべての提起を黙殺する代わりに「私への粛清」で応えた。…「そんなつもりではない」という言い訳など、そういう経緯と事実の前では無意味である。

 ■第三に、ここでの文書に示されるとおり、私はかくも必死に『映画問題』総括討論を訴えてきた。その上でついに2011~2012年には、直接に…かつて筑豊ヤマの会会員であった闘う労働者氏から▽▽派を代表したCに対して…その総括討論は厳密に要請されたのである

。……にもかかわらず、この経過と事実を▽▽▽は汚く歪めて、「『映画問題』はA(私)が…!?

…、…今、!?…持ち出した」などというデマをねつ造した

 驚くことに「この『映画問題』を今までA(私)が隠していた」などという卑劣なデマさえ流布されたのも確認した。

 ■第四に、最後の最後に★★【α討論】★★と改題して示した“ほんの一部”は、地区で誰よりも共に戦闘的に『映画問題』と労働運動(等)を闘ってきた労働者氏に、あたかも「逃亡者」か「敵対者」かの態度をとり続けた事実の証拠として掲載した

。……こうした、幾度もの私の指弾にはついに何も応えぬまま……今も継続している▽▽▽と▽▽派は、その一点をとっても、いかなる意味でも今や「労働者党」ではない。

(つまり、小ブル集団…となり果てたのである)。

 ■第五に、こうした状況を『映画問題』=『筑豊からの告発』=「日雇全協の破壊の問題」…というこのブログのテーマにそって結論的に述べるなら…

①上映実に連なる者たち、②KMTグループ、に続いて③▽▽▽派までも、つまり日雇全協破壊に責任あるすべての政治勢力が、こぞって『映画問題』決着の敵対者として肩を並べる結末となっている !! のである。

 何度も言うが、

「だから闘う労働者氏も私(たち)も黙るわけにはいかない」のである。

 (☆コミ研☆No.011、以上)