☆コミューン研究☆  労働者自身の事業による解放のために

″労働者自身の事業による解放″を目指す一労働者のブログです

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■■☆コミューン研究☆ №010

 『行動委員会と党建設』

 (継続して新規に記述するもの… の、【その①】)

■★■続Ⅰ.いわゆる「映画問題」

「歴史の概観、および報告してきた主な文書の抜粋」…の① ■★■

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□■□(その1)2002年7月の小論『…日雇い労働運動の前進を』を再提起する

 ※※少し「前置き」をしておきます。

 この小論は、私としては(長い組織活動の中で)遅ればせながら初めて「論文」として某紙に提起したものでした。それまで書き慣れなかった「論文」に着手するのは、実際大変な作業ではありました。

 ではそんななれない作業になぜ着手したのか。

 当時、私は99年に発生したKMTグループを「国家権力が支援するために仕掛けた」性格のM大弾圧の対象として逮捕・投獄されて獄中にありました。当時の私を含む▽▽派が大量投獄されているとき、片や、ここから(権力の力を借りて)脱走したKMTグループは、形ばかりM大学を「拠点」かのように居座りつつ、東京・山谷を中心に(主に運動破壊の活動として)福岡に破壊を広げていよいよ福岡県警公安との連携を深めていました。そんな「権力の力を借りての好き勝手」の中で、横着にも彼らのスパイ紙上に「寄せ場論文」のような代物やら腐敗しきった内容の「寄せ場報告」やらを大威張りで掲載し始めていました。

 ★★本論は「KMTらの反労働者性」とともに「▽▽派の本工主義」を暴露弾劾する★★

 あえて言いますが、そもそも▽▽派としては(驚くことですが)それまで一度も「寄せ場労働運動をテーマにした論文」を発表した形跡もなかったのです。そしてこのときKMTグループが(僭称とはいえ「▽▽派」の「名」において)初めて「寄せ場論文」とやらを世に出したわけです。すでにこのブログでも随所で暴露してきたように、KMT(たち)こそは正真正銘の「日雇い・寄せ場労働運動の破壊者」でした。その彼らが、今や「寄せ場労働運動の責任団体」のごとく反労働者的言動をほざきまくっているわけです。それは当時の獄中の私としては何より悔しく腹立たしくもどかしいことでした。ですから私は獄中でKMTたちの出した反革命雑文にかじりつくようにして徹底批判を加え、それをノートにし、論文的な体裁にして、獄外の▽▽派の「同志」たちに送りました。獄外には「労働者指導部」を自称する者がいるのですから、私のこの批判メモは何らかの形で生かされて▽▽派の紙上でのKMTグループ批判として発表される、と期待していました。ところがいつまでたっても自称「労働者指導部」のいる「編集局」は、このKMT流「反革命寄せ場運動」の批判のカケラも掲載しませんでした。

 ★★▽▽派の本エ主義が「KMTらの山谷での暴走」の共犯であった★★

 いま結論的にはっきり言うならば、当時の▽▽派「労働者指導部」とやらは、実際は「KMTたちは日雇い労働者の分野で威張っているが、本当の労働者運動はこちらだ」といった感覚でふんぞり返って、実際なんの痛みも感じてはいなかったのでした。

(私は出獄後にその実態を思い知らされていくことになりました)。

 要するに──失業・半失業の労働者をまるで「半人前」のようにしか見ない──本工主義が染み付いていたのです。だから彼ら「編集局」は私の「KMTグループ批判を軸とする寄せ場論文」をそっくりゴミ箱に捨ててしまっていたのでした。

 今でも尊敬している▽▽派の歴史を担ったN氏やH氏には少々耳が痛いかも知れないのですが、実際彼らも含めて▽▽派の誰も「寄せ場・日雇い労働運動の歴史的整理」に着手もしなかったという事実は、今も改めて「▽▽派の明白な本工主義的な側面」として指摘しておかざるをえないことです。ただしN氏は「本工・予備役の分断の突破」を力説し、H氏は「内部糾弾闘争と党建設」の路線定立に尽力し、私などは何度も氏らの偉業に学びながら「全労働者の団結に結実していくような日雇い・寄せ場労働運動へ」となんとか進み得ていたのでした。が、その福岡地区の他には、特に山谷ー寄せ場を抱えている東京・関東-▽▽▽では驚くべき無関心がまかり通っていたわけです。そして、その▽▽▽をはじめとした無関心(または日雇い労働者の苦悩に対する嘲笑?)こそを条件にして、それをいいことにKMTらは「寄せ場」をめぐる能書きを好き勝手にほざき、また「自由の空間」にし、破壊と反革命への絶好の舞台にしていった、ということです。

 その反労働者性・反革命性を当時の私なりの全力で批判したにもかかわらず▽▽派「労働者指導部?」はこれを放り捨てた。

 ★★当時の私の執着は何より『映画問題』=日雇全協破壊について▽▽派の自己批判にかけて総括と再建へと進むことを中心とした作業としてあった★★

 これまで随時明らかにしてきましたが、▽▽派からKMTグループを生み出したという【事態】は、私にとっては同時に、それまで(主に90年代の)特に東京・山谷や福岡や全国寄せ場に介入した(▽▽指導を振りかざした)KMTの「怪しげな指導」に動揺させられつつも、結局のところ多くはこれに「従って」、私の「努力」の多くがKMTらによる日雇労働運動の私物化(=破壊)とそれをテコにした労働者革命運動破壊の「道具」にされたことに気付かされた痛恨の【事態】に他ならなかったのでした。

 『筑豊からの告発』という「映画問題」のなかでも最も生々しい労働者・人民が突きつけた課題は、当時も今も労働者解放・革命にとって絶対に見過ごしてはならないものです。私にとっては当時から身近で共に闘おうとしてきた「在日朝鮮人の母をもち、父も自らも闘う炭鉱労働者として生きて闘った経験から、全力で日雇労働運動の先頭に立ってきたある労働者」との共闘をとおして私(たち)の唱えてきた「朝鮮人民連帯」「予備役・本工の分断を越えた労働者連帯」の内実が直接に問われており、またさらにこの「映画問題」をとおして「部落大衆との連帯」「生活保護をめぐって国・行政と対峙するすべての人民との連帯」が問われ、ひいては三池闘争を頂点とする戦後労働運動の総括(と今後の闘争指針)もが問われているのだ、と考えてきました。……そうした問題意識自体が前述した労働者氏との共闘の中から学んで確立してきたものでもあります……。

 改めて記すのも無念ながら、KMTらは「ある時期」までは「差別者を許さない」という大義名分を手にするために「筑豊ヤマの会」の一員であった前述の労働者氏に共感したかのように振る舞い、……山谷争議団を分裂させ、日雇全協破壊ののちに「全国寄せ場交流会」なる分裂集団を作って勝手に振る舞いたい「時期」になると……もはや「筑豊からの告発など邪魔だ」とばかりに労働者氏の警告を無視し踏みにじって、「告発」主体に何の相談もなく実に勝手に【○日労が管理する映画フィルムを奪い去った】うえに【勝手に切りきざんで「筑豊シーン」をカット】して「これでケリだ」=「もう『筑豊からの告発』など関係ない」とばかりに全てを闇に葬ってきました。

※※365日24時間つらぬく現実の様々な差別と闘うのでなく「差別者…と目した誰か…を許さない」という政治的な号令で「事足れり」と一知半解したり「差別者と呼ばれたくないために『イエスマン』になる以外いかなる大衆運動も自らなさなかったり」、というのが東京▽▽▽の「伝統」であった、と今さら思わされます※※

 実際、今日に至るも、

①上映実とそれに連なる者たちは今や「勝手気ままに上映をくり返し」ている。

②KMTグループもまた(奪ったフィルムを)気ままに流して①と仲むつまじく共存している。

③東京・山谷から福岡・筑豊にわたるKMTの全ての暴挙に「やり放題自由…の切符」を与えてきた▽▽▽諸君は……KMT皮革命どもに「寄せ場の闘いに関心もなかったくせに」と罵倒されても痛みさえ感じないほどの本工主義でふんぞり返りながら……その後の私の総括提起も労働者氏の数々の注告も一切合切をさらに葬りながら、ひたすら「事実の書きかえ」と「歴史の改ざん」による《臭いものに蓋をする》方式の悪意に満ちたレッテル貼りで、私たちを黙らせたつもりのようである上で、これまた東京では「共に弾圧と闘おう」などと①との共存へとにじり寄るありさまである。

 残念ながら私は黙らないし、労働者氏の怒りは私以上である。さかのぼれば三池と炭鉱労働運動に連なり、ひいては今日のフクシマに密集させられた原発処理・除染労働者や全国全領域に散らされた非正規労働者の命運に連なる、その要となる日雇全協ー日雇い労働運動の、その破壊をめぐる徹底的な総括ぬきに労働運動の未来も労働者人民の解放も絶対にあり得ないと確信するゆえに、黙ることなどできるはずがありません。

 

 ★★下のKMT批判の小論は▽▽紙への掲載を執拗に妨害されたものである★★

 のちに下のこの小論が「世に出た」のは、▽▽派の某「指導部」の推薦があったからなのだが、それも実際、「こんなダラダラした冗長な文章は載せられない」と難癖まで付けられるなどの数度の妨害にさえあって遅れに遅れた。(火急の党派闘争の武器とするより「本工主義」の党内闘争(?)または本工主義の居直りが優先された、と断言せざるを得ない)。

 しかも、下にそのまま掲載するように、この小論はじつにわざとらしく、さらに「編集局」によって「上」「中」「下」にわざわざ小分けして三分割され、まるで目立たない記事にされ、そのためもあって、党内の誰の記憶にも残らないような「▽▽派初の寄せ場論文」となってしまった。KMTグループ発生後も、このように「本工主義は全力で組織された」ということである。

 ともかく、そうしたいわく付きの(私にとっても初めての)論文であったことを前置きとして述べて、──一部は判断して伏字などに変更していますが──当時の時点でのKMT「寄せ場運動」批判であり、運動史の論評であるので、全文をそのまま掲載します。

※※以上は「前置き」です※※

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★★★★★2002年春(?)羽O弾圧出獄後の初掲載…

“団結夏祭り”を成功させ日雇い労働運動の前進を(上)

権力・業者となれ合う日雇い労働者の敵、KMTグループ根絶へ

   ……………○○○○(署名…以下、省略します)…………

 「有事立法」をはじめとする戦争とファズムの攻撃が煮つまるなか、ニセ「○日労」=KMTグループは、県警―公安に手厚く庇護され日雇い・野宿労働者と全労働者階級人民への敵対の度を深めている。他方、名実ともに福岡・築港の寄せ場労働運動の歴史的全格闘地平を継承する○日労は、権力・行政・KMTグループなどの反革命が束になっての破壊攻撃を敢然と打ち破って、春闘、野宿労働者叩き出し攻撃粉砕を大衆的実力闘争で闘いぬいている。三里塚決起、安保粉砕闘争決起をかちとり、それらの成果をうち固めて今夏、第十七回団結夏祭りの勝利から全階級戦線に躍り出ようとしている。

 恐慌・大失業―戦争・弾圧が吹きあれる激震の時代にあって、あらゆる転向分子や路線転換勢力が権力―行政への「陳情」と屈服にのめり込んでいる。また、ブルジョアどもと肩を並べて「ワークシェアリング」を口走ることによって、現場実力争議を軸にした階級形成に敵対している。KMTグループとそのでっち上げたニセ「○日労」(以下、ニセ「組合」)の攪乱・敵対を粉砕し、五同志虐殺に報復し、戦時下の戦闘的階級的労働運動の大前進を実現するために、KMTグループ=ニセ「組合」反革命運動に壊滅的批判を加えていく。

【ニセ「組合大会」でっち上げ、○日労破壊を粉砕せよ】

 権力―行政・資本への従属を強要するニセ「組合」は、昨年十二・一六「組合大会」なるものをでっち上げた。いうまでもなくこれは、「脱退」や「除名」などブルジョア法感覚にどっぷりと漬かった「手打ち」屋=KMTの指令によるものである。また、○日労破壊と戦闘的組合員への攻撃の証しを庇護者=国家権力に示して、延命を策すためにだけ仕組まれた正真正銘のでっち上げ「大会」である。「○日労」僭称スパイ分子=坂○は、『崩壊』一月号の片すみにデタラメな「報告」を書きなぐった。当然ながら、反権力も反資本(―対業者闘争)も野宿労働者への叩き出し攻撃との闘いも語られていない。権力―行政と資本に忠誠を示した反革命の自己証明書と呼ぶべきものである。

 第一に、ニセ「組合」はその出生において徹底した反革命性・反労働者性に満ちている。ニセ「組合」出生の不可欠の条件はただ反革命弾圧であり、九九年十一・一四森○同志虐殺の反革命テロルであった。ニセ「組合」でっち上げに際しては、「坂○はもともと○日労組合員だ」なるデマが唯一の拠り所であった。九〇年に三里塚から脱落・逃亡した当時から、一貫して九〇年脱走グループ内の小市民生活を夢見ていた坂○は、小器用に団結の外に「自由の空間」を求めた。こうした自己欺瞞の結果の一つが、釜ヶ崎での「微罪」弾圧における自供・屈服である。二つが、「釜ヶ崎ではヤクザが強くて争議はやれない」とほざいた釜ヶ崎労働者への敵対であり、三つが、「KMTくんが負けるはずがない」という超主観的打算をもってのKMTへの隷従である。こうして森○同志虐殺の尖兵となり、ニセ「組合」手配係となったのである。

 いうまでもなく、ニセ「組合」には○日労の歴史的格闘に対する一片の継承性すらない。そればかりか、唯一「もともと○日労組合員」とでっち上げたはずの当の坂○が、福岡での敗勢に次ぐ敗勢のつめ腹を切らされて、いまでは東京・山谷手配係として「出家」させられている。まさにKMTグループ内においてさえ「継承性」などズタボロなのである。こうしてでっち上げられたニセ「組合」や「大会」なるもの、さらには戦闘的労働者への「除名」なるもののデタラメとその存在自体の反革命性は幾重にも明々白々である。

【○日労の歴史的格闘の歪曲・抹殺を許すな】

 第二に、ニセ「組合」は福岡日雇い労働運動史上、いかなる意味でも無縁であることを白状した。坂○「報告」は「八五年から九五年までの日雇全協グループの問題点」として、「仕事がある者が野宿する労働者を救済する運動に変質させていった」と書く。だが一つに、〈実力争議からの逃亡、救済運動への歪曲という路線転換〉のゆえに対金町戦も諸差別との闘いも放棄したという点で、正確には「路線転換グループ」というべきを、あえて「日雇全協グループ」と言い換えたのはスパイ転向分子特有の典型的な清算主義の吐露である。と同時に、今や反革命サークルの意志一致としても「路線転換」(より正確には総転向、総スパイ化)を公然と掲げているからである。二つに、「救済する運動に変質させた」とは、KMTらが書いたおのれの主観的な山谷「総括」の文言を○日労に当てはめようとしただけの完全なねつ造である。

 そもそも○日労の歴史においては、当初からキリスト教的救済運動およびこれに相乗りした新左翼右派ブロックの市民主義運動の諸限界を含み、他方これとは区別された、後に〈筑豊からの告発〉として表出していく戦闘的大衆運動がはらまれたものとして出発したのである。山谷や釜ヶ崎においては、反戦全共闘運動の波及をうけながら独自の戦闘的突出をかちとりながらも、その後退・変質をくぐってきた。そしてこれを基底として、寄せ場・日雇い労働運動は〈九〇年代寄せ場解体攻撃をめぐる路線転換か革命的飛躍か〉として問われたのである。○日労においてもまさに実力争議を機軸に据えきるか否かの階級的分岐として闘われてきた。それ自身としてもまるで的はずれなKMTの「総括」を当てはめようなど、まさに現実の労働者人民の格闘の頭上に君臨する宗派の所行なのである。こうしてニセ「組合」は九五年以前も以後も、現実の福岡日雇い労働運動とはまったく無縁であることを白状したのである。

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(中)

   …………○○○○……………

【〈告発・糾弾〉に敵対する差別映画上映強行糾弾】

 第三に、でっち上げ「組合大会」では、九五年に逃亡した○日労旧執行部の問題は「『映画問題に現れた差別問題への居直り』として総括され」た、と一知半解を披露した。

 当時の全協において○日労は、差別映画「山谷―やられたらやりかえせ」に関して、主たる〈告発・糾弾〉である「筑豊からの告発」の責任当該組合として確認され、またその責任において(諸限界をはらみつつも)長期にわたる内的格闘を闘ってきた。したがって、当時の日雇全協運動に関わったすべての者が〈告発・糾弾〉をうけとめ、主体的自己批判こそを実践的回答としなければならないものであった。

 にもかかわらずニセ「組合」の口上は、まず一つに、それがいかなる打撃でありいかなる差別であったのかをまったく語れない、典型的な〈差別問題の政治的利用〉である。したがって二つに、「脱退」や「除名」のみをもって「解決」と言いなす政治手法は〈告発・糾弾〉の隠蔽・もみ消しであり、「告発」にはらまれた元炭坑労働者・失業者や部落大衆・在日朝鮮人民の闘いに対する直接の敵対である。三つに、これら一切をすべて闇に葬り去るニセ「組合」こそは正真正銘の差別主義反革命なのである。

 ▽▽派とKMTグループとの違いを、「多くの限界と克服すべき課題に直面したとき、徹底してこだわり実践的に突破していくのか(否か)」(『崩壊』一月号)といってのける反革命どもの欺瞞にはあきれるばかりである。こうしてついにニセ「組合」は本年一月一日、福岡県警公安が見守る博多・明治公園でこの差別映画の上映を強行した。何よりも〈告発・糾弾〉の当該さえ内在しているというべき福岡の日雇い労働者にむかって、また怒りさめやらぬ元炭坑労働者や部落民労働者・在日朝鮮人労働者にむかって、ごう慢にも「山谷に学べ」と説教したニセ「組合」差別ビラをまき散らし、「泣き寝入り」を強制しようとしたことを断じて許すことはできない。まさに、「〈筑豊からの告発〉は市民運動・上映運動への敵対だ」などと言い放って差別的上映運動にひた走った路線転換グループの所行を、さらに右から踏襲するものである。

 こうした差別主義反革命分子を生み出してしまっただけでなく、差別映画上映を許した痛苦な現実を踏まえ、少なくとも以下の点についてわれわれの根底的自己批判にむけた実践的課題を鮮明にすべきと考える。

 一つに〈筑豊からの告発〉は、当該労働者人民自身の解放をかけて日雇い労働運動との連帯を求めるがゆえの死活性をはらんでなされたこと。直接には部落大衆・在日朝鮮人民によって糾弾が開始され、また筑豊の労働者の闘いの地平において告発されてきたこと。だからこそ、それらの労働者・被差別大衆・被抑圧人民との戦闘的階級的共同を実現していくための闘争指針を鮮明にし、またその現在的格闘をもって実践的回答とすべきこと。したがって、「問題のシーンをカットすればケリ」(KMT)なる欺瞞・差別敵対を断じて許してはならないこと。この差別敵対を許したことによる打撃の重大性において、より痛苦な自己批判と克服の決意をもって必ずやこの差別主義反革命集団を解体・根絶すること、である。

 二つに、こうした〈筑豊からの告発〉に連なる朝鮮戦争下の実力反戦闘争を闘いぬいた北九州港湾労働者の闘いや、部落大衆が総決起して闘った三井・三池闘争、そしてダイナマイトで武装決起してきた在日朝鮮人労働者の闘いなどの階級的意義とわれわれ自身の課題を鮮明にして、日帝参戦下における階級的革命的労働運動の総進撃をかちとることによってこそ、その実践的回答とすることである。

【ケタオチ業者と癒着した労働争議破壊の尖兵】

 第四に、ニセ「組合」による○日労ケチつけの核心は、「金を目当ての労働争議への変質」(ニセ「組合」の「大会報告」)なる逆立ち規定である。ここでもKMTらはなんと○日労を「九九年まで▽▽派に利用されていた組合」(同前)などと、「日雇い労働者などいつでも利用できる」というKMTの根深い労働者蔑視を書きなぐった。またさらにこの意味するものは、つまりKMTらがはるか以前から革命党破壊と労働運動の小ブル的物理力化という文字どおり脱走・転向分子の視線において○日労を敵視し、破壊を策動していたことをも自白したということだ。

 まず動かしがたい事実として、ニセ「組合」は権力との結託による九九年十一・一四反革命と十二・三一労働者襲撃をもって○日労破壊に突進した。ニセ「組合」は福岡県警公安私服どもと並んで築港机出し―労働相談闘争破壊をくり返し、机を破壊し組合旗を破り組合ニュースを強奪することで権力からますます認知されたものの、それ以来そのニセ「組合」の反革命ビラには一片の労働争議報告もなければ、対業者闘争を呼びかけたことさえない。もちろん労働運動弾圧への告発もなければ野宿労働者叩き出し攻撃への対決を呼びかけたことさえないのだ。きまぐれに「業者」に言及したビラも、たとえば「労働局が築港に来る」などと行政広報ばりの見出しをふって「アブレ、違法業者ののさばりに責任をとらせていこう」などというものだ。すべては行政に頼めと実力決起を制動し、行政が「違法」業者を「適法」にしてくれると、とんでもない体制内改良主義の幻想を振りまいている。こうして「権力・行政・業者とは争いません」と言外に明記された反革命ビラを、奴隷証明書としてそのつど公安私服や手配師どもにまき散らしてきたのである。

 また、ニセ「組合」のほざく「春闘」の反労働者性はとりわけ極悪である。ニセ「組合」が「成果」などという築港出入り業者の「デヅラ表」なるものは、さながら業者手配広報であり、ブルジョア的差別賃金体系をそっくりそのまま書き連ねた代物である。ニセ「組合」は、資本(業者)による労働者の分断・支配の永遠化をこいねがうのだ。

 それらの「成果」として、○日労が最悪のケタオチ業者として実力争議を叩きつけてきた「伊崎」のような正真正銘の「違法」業者こそが、瞬時にこの争議破壊集団の素質を見抜いてすり寄り、ニセ「組合」もこれとなれ合うことで、自分たちだけはアブレ地獄から「解き放たれる」のである。実際「金を目当て」なるケチつけこそは、「日本の賃金は高すぎる」という言いがかりを典型とした、労働争議を憎悪するすべての資本・権力の例外のない常套句ではないか。これこそ純然たる資本・権力の側への転向宣言であり、「労働争議を破壊せよ! 闘う○日労を解体せよ!」という反革命宣言なのである。

【労働者の運命を行政に白紙委任する反革命陳情運動】

 第五に、ニセ「組合」は、「九九年までの▽▽派に利用されていた組合の問題点」は「仕事寄こせの闘いの放棄」であったとも言う。そもそもKMTグループの語る「日雇労働者」とは、権力―行政どもが差別的に「ホームレス」などと呼称することと同一の感性において焼き直したものである。つまりニセ「組合」は、「○日労は野宿者の要求を闘わないぞ」とデマをとばすと同時に、日帝労働行政の尻押し運動としてみずからを支配階級に売り込んでいるのである。

 そこでまず、○日労へのまるで的はずれなこのケチつけから粉砕しておく。九五年以来○日労は、築港出入りのヤクザ手配師・業者との対決から対日通争議まで息もつかせぬ数段の労働争議を攻め込みながら、例外なく公安私服どもとの肉弾戦を伴う熾烈な対職安実力交渉を積み重ねてきた。そして、公園での叩き出し―野垂れ死に攻撃と対決する移動労働相談闘争を組織し、とりわけ公安私服・鉄道警察隊・JR当局と対峙する博多駅コンコース実力制圧戦を何段にも闘いぬき、また敵対するヤクザ手配師を実力で叩き出してきた。他方、こうした実力闘争を基礎に医療相談を闘い(陳情や行政まかせではなく!)、直接に福祉事務所や病院に当該労働者と共に押しかけ、労働者人民への医療を監視し、また戦闘的労働者・「障害者」・学生との共闘をうちぬいてきたのである。まさにこうした闘いとして突出してきたからこそ、度重なる弾圧がしかけられ、また粉砕してきたのである。げろっぱき坂○らが公安私服どもとカルガモのごとくなれあったニセ「組合」などとは、まさに対極に位置する闘いである。

 一方、このニセ「組合」が「仕事寄こせの闘い」などと得意がる、その対行政陳情運動をみておく。ひとつにそれは、日雇い労働者の実力決起を制動・抑圧する「運動」である。ニセ「組合」は「アブレと野宿を作り出す原因は市役所だ」(ニセ「組合」ビラ)といいたて、〈アブレの責任は業者ではない。行政に解決能力がある〉とがなる。さらにまた、小泉の「緊急雇用対策」を賛美して「『交付金事業』もアリバイに終わってしまう危険性がある」(同前)と言いなして、これがアリバイでないかのようにさながら民主党の口振りで労働者を欺き、また「アブレ地獄」が「交付金事業」によって解決しうるかのように欺く。何よりもこの「緊急雇用対策」が、現下の「解雇立法」攻撃と不可分一体であることを隠す。こうした手法をもって、ニセ「組合」は労働者の武装解除を迫るのである。

 ふたつにこの「運動」は、労働者自身の死活的利害を組織するのではなく、行政にすべての「解決策」を丸投げし、〈行政のフリーハンド〉に決して口出ししない。つまり、帝国主義的労働政策の完全な尻押し運動なのである。ニセ「組合」は仕事・医療・生活保護などについて「行政に解決策を出させ」ると称して、実際にも〈福岡市…ホームレス担当〉――なんと労働者をなめきった部署か!――に「申し入れ」て、「就労対策…『住所』…の問題について、どのような解決策を考えておられますか」――なんという奴隷の物言いか!――などと書く(ニセ「組合」の「申入書」)。

 こうして、○日労が対市行政闘争においては必ず労働者実行委員会を組織し、“もっと市所轄の仕事を出せ。ドヤを、入院先を「住所」として認めろ。公園課による叩き出しをやめろ”などの具体的要求を練り上げて、突きつけてきた地平を破壊した。ニセ「組合」は、行政に「労働者の運命を決めてください」と陳情するのである。「労働者の切実な要求を汲みつくす努力を一切していない」(「報告」)のは、まさにニセ「組合」自身である。

 みっつに、したがってこの「運動」は寄せ場拠点廃墟化運動である。すなわち、この陳情運動の反革命的本質は、権力を友軍とし坂○を手配係とする「動員」がすべてであって、「労働者自身の事業」として発展する回路を封殺している点にある。本来的にいって、個々の労働者の要求(怒り)の中に鋭く「賃労働と資本」の矛盾がはらまれているがゆえに、個々の切実な具体的要求を掲げ貫く闘いこそが赤裸々な敵の姿を暴き出し、またこの闘いと団結の発展をとおして〈個別的要求〉は〈普遍的要求〉へと転化し、鋭い階級対立(闘争)へと発展していく。だがニセ「組合」は、労働者の個別要求を見下して、教祖KMTの小ブル的観念で、労働者を階級融和(圧殺)の道へひきずりこむのである。結局、この陳情運動で要求されているものはニセ「組合」の「認知」、それのみである。

 まさにKMTグループはM大拠点廃墟化と同一手法で、寄せ場解体攻撃に呼応する寄せ場拠点廃墟化運動に突進している。その核心は○日労破壊であり、すべての戦闘的労働運動の破壊である。

 ニセ「組合」はさらに以下のような“労働者虐殺要求”を書きたてる。

 ひとつは、「東京、大阪で実施されている越年対策を福岡でも」と煽動していることである。なるほどKMTグループは、争議を破壊して久しい山谷、釜ヶ崎についてなんと資本となれ合った「労働行政の縮小」のみに反対する(『崩壊』十二月号)。また、福岡のあらゆる市民主義的救済運動の常套句も「東京・大阪のように」であった。だがまさしく「労働行政」の本質は、階級矛盾の隠蔽、階級闘争圧殺にこそあるのだ。そして今日の「労働行政の縮小」の核心は、階級矛盾の爆発に身構えたレッドパージと労働者虐殺にほかならない。ニセ「組合」はこの攻撃を必死で隠すのだ。

 ふたつは、ニセ「組合」はなんと「風邪薬など家庭薬を病院や福祉事務所にわざわざ行かなくてももらえるように」(「申し入れ」)と要求した。とんでもない。日雇い労働者、とりわけ野宿を強いられた労働者が病院や福祉事務所から〈足が遠のく〉のは、〈めんどうだから〉というような労働者自身の原因によるものではなく、病院や福祉事務所の現場においてくり返し差別的に排除され、極悪医療を押しつけられてきたからである。行政官僚の視線で野宿労働者を見下ろすKMTグループはすべては労働者がだらしないのだとなじり、〈福祉事務所に「わざわざ」来るな!〉と行政官僚そのままの言辞を吐くのだ。そして〈行政の認知〉と引き替えに〈ニセ「組合」が「行政代行」として恩着せがましく風邪薬をばらまいて、労働者を黙らせてみせる〉とほざいているのだ。

 みっつは、「舞鶴公園や山王公園で三名の野宿する労働者が亡くなった」ことをもって、「福岡市の対策の有効性・迅速さに問題があった」(「申し入れ」)と言い放ったことである。ふざけるのもいい加減にしろ。福岡市行政こそ警察と一体となって重病に倒れている野宿労働者さえ公園から叩き出し、あるいは「狩り込み」など、つねに労働者虐殺の尖兵だった。さらにはこの市行政こそ〈労働者虐殺行政糾弾!〉の闘いに対して、毎年のように大量の公安私服どもを庁舎に乱入させて弾圧を乱発させてきた、労働者人民の敵である。

 再度暴露しておくが、ニセ「組合」はすでに〇一年四・一八付の反革命ビラで、「無料宿泊所をはじめとする救護施設の建設を」とさえほざいた。日雇い・野宿労働者がブルジョア法秩序を実力で突破し、現場といわず野天であろうと生活拠点を構築し守り抜いて野垂れ死に攻撃をはね返そうとしているときに、ニセ「組合」は隔離・収容―抹殺と治安管理を煽動するのだ。そもそもニセ「組合」のみならずKMTグループのすべての文書において、〈野宿労働者叩き出し攻撃粉砕〉の文言が完全に削り落とされているのは一体どういうことか。〈叩き出し攻撃〉容認の意思一致を完了したKMTグループは、今やひとり残らず山○○・松○○○の腐敗を共有している。野宿労働者に襲いかかる差別襲撃者の感性こそは、まさにKMTグループの信条なのだ。

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(下)

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【「反権力」の偽装すら捨てたニセ「組合」】

 第六に、このニセ「組合」の極めつけの本質は、福岡県警の最大級の重警護のみを唯一の生存条件としている点である。

 ニセ「組合」の反革命罪状のひとつは、県警公安の誘導による九九年十一・一四反革命テロルと、さらには十二・三一労働者襲撃を凶行したことである。ふたつに、公安私服と坂○が肩を組むほどになれ合いながら○日労破壊を続けていることである。みっつは、「○日労弾圧に対決するな」として労働者への武装解除を強要し続けていることである。よっつに、ニセ「組合」はさながら「自警団ファシスト」のように白昼公然の反革命武装を奨励されている。県警本部や中央署に隣接する対県・対市行政交渉現場でさえ、バットケースをもってシュプレヒコールに加わり、これ見よがしに写真で公表して恥じない(九・二六ビラ)。いつつは、闘う○日労組合員への「除名」を無力にがなり立てたことである。とりわけその無力な「除名」の筆頭に掲げられた福日労委員長は、組合の戦闘的階級的飛躍への基礎をなす築港机出し―労働相談闘争と実力争議の先頭で闘いを牽引してきた。九七年弾圧以来の連続的弾圧の矢面にたち、現在直下獄中不退転で闘いぬいている。自供・転向分子坂○らによる戦闘的組合員を名指しした「除名」など、闘うものにとってはむしろこの上ない“誇り”である。

 ニセ「組合」には「反権力・反弾圧」の口上が欠落しているだけではない。この反革命どもは今や権力―公安の感性そのものにどっぷりと浸りきっている。ニセ「組合」が「仕事寄こせ」と陳情するその内容たるや、たとえば「迷惑駐車防止対策」「路上駐車の実態調査」「放置自転車対策」「ガードレールのポスター除去」等々と、どれもこれも日帝警察やこれに協力する町内会が治安管理の一環としてきた「業種」ばかりである。しかもこれらの「自警団」活動に労働者を引き回すための口上として、「専門知識がいらない」だの、「体を動かす」仕事だのと労働者蔑視に満ちあふれたものである。総スパイ集団として権力とじゃれ合うことを日常としてきた連中の感性とはこういうものだ。

寄せ場解体・労働者虐殺の「ホームレス法」粉砕へ】

 ニセ「組合」―KMTグループのぶざまな転落の対極で、○日労は〇一―〇二越年・越冬闘争、寄せ場〇二春闘音羽公園叩き出し攻撃粉砕闘争を圧倒的な勝利感に満ちて闘いぬいている。

 組合結成準備会から結成へ、そして戦闘的「障害者」との断固たる共闘の発展へ、という闘いの産みの苦しみの時には、野宿労働者への差別襲撃と権力―警察の差別的介入に対決し白刃を手に実力糾弾決起した「荒木裁判闘争」が、組合と共闘を頑強にうち鍛えた。○日労がうち抜いてきた〈労働者虐殺行政糾弾!〉を核心とする対行政実力闘争の歴史的格闘は、まさにこの野宿労働者の実力糾弾の怒りを基礎にすえたものである。またこの闘いは、差別虐殺への怒りを共有する全障連○○ブロックの――「障害者」を荒木裁判闘争傍聴支援から排除しようとした司法権力の差別攻撃を契機に――福岡地裁糾弾の九州各県からの総決起と地裁占拠闘争さえ呼び起こしていった。

 この日雇い労働者と「障害者」とのともに実力決起した共闘地平を、とりわけ旧執行部による「障害者」との共闘からの逃亡をも見抜き粉砕し、画段階的に継承発展させてきた地平において、今夏の第十七回福岡日雇い団結夏祭りが闘われようとしている。共闘に結集する「障害者」は、度重なるKMTグループの差別襲撃をはねのけて闘おうとしている。とりわけ○日労の団結夏祭りにおいては、「障害者」が決起してきたのみならず、ここにおいて結集する在日朝鮮人労働者が、部落民労働者が自らの社会的存在と闘う決意を公然と表明し、また共闘においても断固として受けとめてきた闘いである。

 まさに、あらゆる差別に対する実力糾弾闘争とその階級的発展こそを合言葉に、闘う「障害者」との共闘、部落民労働者、在日朝鮮人労働者の決起を○日労の内実としてうち固めること、権力・資本(業者)、ヤクザ手配師との実力闘争を貫くこと、学生実行委との共闘―労学連帯の地平をさらに深化・発展させること、〈筑豊からの告発〉に応え階級的に共有・発展していくこと、などが九五年以降はっきりと確認されてきたのだ。

 “ニセ「組合」を叩きつぶせ!”とはち切れんばかりの労働者の怒りが、○日労の闘争史上でももっとも感動的な革命的階級形成の瞬間を刻み続けている。○日労のいかなる試練の時にも、必ず階級的な団結が飛躍的な闘いを生み出し、飛躍的な闘いがさらに飛躍した団結の前進を実現してきた。

 激烈に進行する戦争突撃下の階級攻防の現局面において、「新左翼」のすべての地平を清算して小ブル諸潮流の劇的転落と逃亡・敵対が開始されている。「有事立法」粉砕、天皇訪韓阻止、そして三里塚・狭山・国鉄・沖縄をめぐる(拠点)攻防が労働者階級の歴史的反転攻勢の現実の突破口である。三里塚反対同盟や闘う国労闘争団の頑強な闘いが、勝利の現実の根拠を維持・発展させている。そして路線転換勢力や転向反革命どもを尻目に、階級的原則的な闘いを発展させる○日労と全国の日雇い・野宿労働者の闘いもまた巨大な全労働者人民の反転攻勢への確固たる一翼を形成している。

 ○日労をはじめ闘う労働者人民の闘いは今夏の激闘をとおして第一に、敵の寄せ場解体攻撃に対決し、就労現場・拠点(築港)―地域拠点(駅・公園等)をつらぬく大衆的実力決起を基礎として、権力・KMTグループ一体となった組合(運動)破壊を粉砕して巨大な全国的波及力を形成しつつある。われわれは必ずこの闘いに応え連帯し、KMTグループを解体・根絶する。そして、獄中全同志の完黙―非転向闘争勝利の地平と結合し、一点▽▽派に照準を定めた破防法型弾圧の本格的発動を断固粉砕し、共に闘う。

 第二に、○日労はその歴史的格闘地平をうち固め、集中する白色テロ・弾圧のただなかで「障害者」、部落民労働者、在日朝鮮労働者をはじめとした労働者人民の共闘の内実を鮮明にうち出している。自らのその闘いをもって、日雇い労働運動から全階級戦線の(※労働者階級的な)統一戦線への発展可能性と波及力を現実に提示しようとしている。われわれはこの闘いに応え連帯するなかから、それらの教訓を壮大な党―統一戦線―共同戦線の実現へと組織化し推進していく。非合法化時代への突入下、確固たる〈蜂起―コミューン〉路線の堅持こそがここでも決定的な生命線である。

 第三に、○日労をはじめ全国の日雇い労働者の闘いは、「ホームレス法」攻撃が示すように、労働者存在の本格的非合法化に非和解的に対立せざるを得ないものとして、その闘いは全国で争議を闘う労働者の闘いとともに、本質的にプロレタリア革命へと貫き通していく徹底性を胚胎した闘いである。総臨時化と未曾有の大量失業が襲いかかる今日、全国の大小の寄せ場からの決起とその推進・組織化は必然的に地域合同労組的要素を育む。そして、全被差別大衆・被抑圧人民との現実の連帯・共闘を死活的に課題とさせ、また必ず現実の結合へと発展していくものである。

 われわれは大胆にこれを推進して階級決戦を準備する。

 勝利は必ず闘う労働者と人民のものである。五同志虐殺に報復し、ニセ「組合」=KMTグループを解体し、夏祭りの成功をかちとろう。野宿労働者叩き出し粉砕闘争を発展させ、戦時下の反革命弾圧と闘う労働者人民への白色テロを粉砕しよう。

 築港・駅・公園を貫く実力争議・実力闘争の歴史的格闘地平をうち固め、国鉄・本山・中小争議と結合し、反戦闘争、三里塚闘争に実力決起し、階級的労働運動の総進撃をかちとろう。

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…………………………………………………………………(この小論、以上です)

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□■□(その2)2002年夏?

 小論『「ホームレス法」批判』を掲載する

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★★★★★寄せ場解体・労働者虐殺法=

「ホームレス法」成立を許すな

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★※…【本ブログのための前書き(注釈)】

 掲載した紙面に与えられた枠の関係で本論はごく短い小論になっているが、本論に提起した視点は、当時も、その後は当時以上に重要な意味を示すと思うのでここに掲載して紹介した。

 主に注目すべき点は…

①この攻撃が、そもそも生活保護の制度と思想というものがその美辞麗句の裏側に隠していた「自立せよ」という労働者恫喝を、この時期に前面に出して、この時期移行たて続けに「障害者」や「女性」など全人民に対して『自立支援』=「自立せよ」「生きられないのは自己責任」とあけすけに恫喝して戦後生活保障制度の破壊に公然と踏み込んだことである。

②またすでにこの時点で「新宿連絡会」などといった、全国日雇い労働運動の(いわゆる)路線転換グループは「ホームレス法の制定を要請」したり、すでに「新宿区保護課窓口に机を並べて行政業務に従事」したり、日雇い労働運動それ自体の破壊に突っ走っており、そうした屈服の推進と一体の攻撃であったことである。

③したがって(すでに随所で明らかにしてきたところの)80年代の東京・山谷の白昼の大乱闘のはてにこの路線転換グループと(当時は▽▽派であった)KMTらが「公然と手打ちした」こと、および、その後それぞれが(自称「日雇全協」と「全国寄せ場交流会」とを名乗って)いずれも国家権力に保護・認知された集団として仲良く「棲み分け」て「行政の手先」の道をひた走っていったことも、この「ホームレス法」攻撃と一体であったことが明らかになる。

④さらにまたそこから、こうした「体制内安住」の世界をこい願って、90年代後期のKMTらが「総転向」あわよくば「▽▽派まるごとの」と、運動破壊・組織破壊をしかけていった事情も明らかとなる。

⑤こうした流れと、いわゆる「映画問題」=『筑豊からの告発』の破壊の流れはその時期もその方向性もまったく一体である。国家権力は『筑豊からの告発』がはらんでいた労働者階級的内容も(以前の)日雇全協運動がはらんでいた労働者的階級性・戦闘性も、なんとしても根絶しなければならなかった。路線転換グループとKMT(たち)は見事にその手先の役割を果たしたのである。

⑥私自身は決して同時進行でこうした攻撃を見抜けていたわけではない。むしろ翻弄されたまま『告発』当該の方々に迷惑ばかりかけるていたらくであった。しかし99年に「何が何でも」と実にぶざまにKMTらが「脱走」したとき、その「脱走」のテコが「山谷─寄せ場」であったことから、私は(直後からの獄中闘争の中で)こうした攻撃の全体像とKMTらの「脱走」のカラクリを全力で分析して暴いてきた(はずであった)。当時は▽▽内では(自主的な総括作業への合流を期待して)「同志」たちへの辛口の苦言は極力避けたのだが、私の多くの提起は、実は…KMTの所行を組織的に追認してきたはずの東京地区や▽▽中央部員の責任(!)を明らかにするものとならざるをえなかったし、また彼らの報告を求めるものであった。公式の会議の席上で「報告」「総括作業の協力」を求めたことは二度や三度ではない。が、そんな私の討論提起に対しては何と「味方への黙秘」という仕打ちが続けられただけであった。▽▽▽の誰もがこの「ホームレス法」攻撃の意味に関心も示さなかったのは、下層労働者を蔑視し分断する本工主義のせいだけでなく、「KMTグループ発生を許したことの責任のがれ」を含んでいるはずである。そのことも含めて、この小論は短いながら(ご都合主義者たちの思惑通りに)消させることは絶対に出来ないのである。

⑦その後、現在に至るまでに、KMTグループは絵に描いたように「行政の福祉にすがれ」「労働者は実力で闘うな」という「路線」に徹し、路線転換グループは山谷・釜ヶ崎などでNPO貧困ビジネスのやり方でまさにチンピラ手配師同様に労働者から身ぐるみを剥いでふんぞり返っている。その、お互いの「仲の良い」こと。彼らと権力・行政の「仲の良い」こと。……その対極で「従わない者」として例えば○日労運動や全障連○○ブロックの運動が(同時に、意識的か惰性かにかかわらず、それら運動の内在推進の位置にあった)▽▽派がのちの「組対法」弾圧にいたる総攻撃を受ける必然へと向かったのである。……つねにそれらの大衆運動を意識的かつ全力で内在的に推進するべく努力していた(と自負する)私は、当然ながら権力公安どもの最大級の憎悪をあびて弾圧されたし、当然それを引き受け粉砕して闘ってきたのである。私はその公判に関係するすべての文書でこうした攻撃性格と弾圧の必然性を提起している。そしてそれらは▽▽▽に居残っている誰にも継承も共有もされてはいない。

⑧今では誰でも知ることだが、全国の街角から「ホームレス…野宿労働者が生活している風景」が急速に消されつつある。だが少しでも「善意」で関心を持つ者なら「彼らは公園や河川敷という生活拠点を追い出され、追い回されて、いまや夜の町のわずかな居場所を求めて歩かされ続け、そうして命を削られている」ということも知っている。首を切られ失職し、派遣としてバナナの叩き売りのように安い労働者にされ、叩き売られてはゴミのように捨てられ、生きようとしても生きる場も奪われ、「自己責任だ」という冷酷な言葉を浴びて緩慢に殺されていく。片やこの国と行政は「臨時宿泊所(収容所!)に行けばいいじゃないか」「生活保護はぜいたくすぎる」などとふんぞりかえっている。そこにNPOの名札をぶら下げたヤクザ業者や「元労働運動家」が貧困ビジネスで追い討ちをかける。「革命的」という言葉に自己陶酔した「カクメイテキロウドウウンドウ」が「今は日雇い労働者もホームレスも少なくなった」とほざきながら涼しい顔で通り過ぎていく。……すべては支配階級の思うツボなのである。

⑨したがって、当時の「労働者派遣法」「自立支援法」「NPO法」などと一体としてこの「ホームレス法」の攻撃に着目し、執着し、粉砕しなければ、階級的戦闘的な労働運動の再興は望めない。今や本工主義は、その実にサエナイ消極的な意義さえも完全に失って歴史使命を終えた。この歴史と現実の中で、「闘う総評をもう一度」などと夢見るなど、もはや悲劇である。

 「すべてを奪われた者」の「もっともラジカルな要求」で団結することでしか真の反逆は不可能である。

 まとまらないが、上に述べたようなことを示唆するものとして以下の小論はあった、という指摘を述べて、「前書き」としたい。………(以上、本ブログのための、以下の小論の前書き)※★

 

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 七月三十一日、いわゆる「ホームレス法案」(「ホームレスの自立の支援等に関する臨時措置法案」)が十八日の衆院本会議に続き、参院本会議で全会一致で可決され成立した。本法は自民、民主、公明、社民、保守各党の共同提案によるもので、「ホームレス自立支援」のために国や自治体がとる施策として、①ホームレスに安定した就業機会や住居を確保し、健康診断を実施

②ホームレスになる恐れがある人が多い地域などで生活上の相談や指導を実施

③宿泊場所の一時提供や日常生活に必要な物品の支給、ホームレスの人権擁護

――などと規定している。

 十年間の時限立法とされるものだが、この「時限立法」の文言は「支配階級の暴力的意思」と読むべきものである。

 本法にもとづく施策の前提は「政府がホームレスの実態を全国調査する」というものであり、日帝参戦下の治安弾圧・労働者人民虐殺を目的とし一挙に加担するための攻撃であることが明白である。

 さらに本法は徹頭徹尾、日雇い・野宿労働者ひいては戦争と内乱の時代に呻吟し格闘するすべての労働者人民の存在と闘いを全否定し、排除抹殺衝動につらぬかれた極悪の弾圧立法攻撃である。全文を通して「ホームレス」と言い放ち、労働者人民をあけすけに「物・道具」とすることを(ファシストやニセ「組合」は有り難がったとしても)労働者階級の感性は断じて許すことはない。

 「自立の意志があるホームレス」などと労働者を選別規定して、“自立(?)の意志がない(=怠け者の)労働者にアブレ・野垂れ死には当然”とする極悪扇動を許すことはできない。

 また本法は、これら選別した(資本・国家に、戦争に役に立つ)労働者のみをブルジョア社会に「自立させる」ことが「目的」と言い、寄せ場解体、労働者階級の団結の解体、あらゆる反逆の破壊が目的なのだと言い放つ。

 さらには、「ホームレスとなることを余儀なくされるおそれのある者」などといい、大量解雇攻撃や戦時下の強収奪のなかで労働者使い捨てと野垂れ死に攻撃に居直り、さらなる攻撃を宣言している。

 さらには「ホームレスとなることを防止する」といい、野宿を強いられようともそこに生活拠点・闘争拠点をうち立て、この闘いにおいて階級的革命的団結を生み出し発展させていく労働者人民の計り知れぬ創造力(打倒・止揚能力)を心底から憎悪している。

 こうして、すでに現在直下に強行されている駅・公園など生活拠点からの野宿労働者叩き出し攻撃を、労働者抹殺攻撃として一挙に加速させることが本法の「目的」だと言い放つ。

 「目的」ではさらに、「地域における生活環境の改善および安全の確保」が「問題の解決」とさえいうのだ。ナチスの「最終解決」=階級矛盾の「解決」としての大量人民虐殺を想い起こせ。

 すべての日雇い・野宿労働者、すべての闘う労働者人民は、資本・権力との非和解・非妥協の闘いを堅持し、「野宿労働者叩き出し攻撃粉砕!」を掲げ進撃する第十七回福岡日雇い団結夏祭りの圧倒的成功を発射点に、全国の寄せ場・野宿―地域拠点から、工場拠点を闘いによって創造していく総反逆へと起ちあがり、本法を粉砕しなければならない。

 「(公園などの公共用地が)ホームレスの起居の場として適正な利用が妨げられた時」には「法令の想定に基づき必要な措置を取る」と明文化し、現行の叩き出し―野垂れ死に攻撃では生ぬるいと労働者虐殺を号令する攻撃を木っ端微塵に粉砕しよう。築港―寄せ場を階級的寄せ場労働運動で圧倒し、ニセ「組合」=KMTグループを解体し、福岡―音羽公園野宿労働者叩き出し攻撃を粉砕しよう。

 音羽公園を中心としていよいよ本格化する叩き出し攻撃を横目に、官許の「夏まつり」をでっち上げる政治的絶命寸前のニセ「組合」は、権力公安との蜜月のなかで、そのニセ「夏まつり」が「故郷を持たない仲間が一同(ママ)に集まって大いに楽しみ共に生き抜く」(ニセ「組合」七・一七ビラ)などとほざいている。権力・行政と同様の「労働者=怠け者」観を満開するニセ「組合」は、本法に弱々しく反対を表明してはみるものの、日雇い・野宿労働者の多くが「故郷」と切断されて生きていることの階級的意味も、「ホームレス」なる敵対的蔑称への階級的怒りも感受しないばかりか完全に浸りきって反革命の正体を露呈している(同ビラ)。

 そもそも争議を闘わないことを路線化したこの奴隷集団のいう、「労働者の使い捨てを許さない闘いなくして…民生対策をかちとれない」(同ビラ)なる空虚な呪文による本法批判(?)もまったく意味がない。今や「福岡市の交付金事業」の広報係になり下がり、〈対権力なき「仕事よこせ」話し合い=「ボス交要求」〉に一切を切り縮め、あげくに行政「福祉」切り捨ての常套手段である担当タライ回し攻撃にも一役買って、「市民局だけが壁だ」などと階級的実力決起の鎮圧を図る――これがニセ「組合」のデッチ上げ「夏まつり」というわけである。

 まさに本法のいう「ホームレス支援」(労働者鎮圧・虐殺と読め!)のため「民間団体への財政上の措置」に示される官製階級融和運動への道、反革命戦争突撃=「城内平和」への暴力的反革命尖兵の道こそニセ「組合」が願ってやまぬ延命の道である。階級的怒りで労働者虐殺法=「ホームレス法」を粉砕せよ。「ホームレス法」の反革命手引き者集団・ニセ「組合」=KMTグループを解体せよ。

  ★※…【付録、として】…

 本ブログを書いている12月某日現在、寄寓にも最も信頼する友人から『子供のホームレス化についてのニュース』が伝えられた。怒りなくしては読めない現実が書かれていた。

 念のために言えば、「家がある」のと「家がない」のと、実はどちらが人間生活的で幸せなのかは、軽はずみな先入観で評論してはいけない、と思う。かつて路線転換グループが「路上生活は不幸」と決め付けて「路上からの脱出」などと(あたかもそれが「解放」への道であるかのように欺瞞して)叫び、『ホームレス法』を後押しし、そのため野宿労働者たちは【権力の強制と暴力で!!】治安対象として恫喝され追い回されて「臨時宿泊所」などの収容所に叩き込まれ、さらには貧困ビジネスのエジキにされてきたから、あえて「路上生活」は「悪」ではない、と前置きしておきたいのである。偽善者たちは「善意」のツラで『ホームレス法』をお願いしておいて、自立支援センターなどを作らせ、補助金に群がり、さらには経営として労働者を再び商品におとしこめて、しかも監獄看守のように通帳まで取り上げておきながら、さらに「迷惑な善意」を売る。

 屋根のある家でも、車中でも、野原でも、人間は自分の好きなところで生活できればいい。

 現代日本のこの現実の問題は、「路上生活」それ自体ではなく、それを【強制した!】この資本主義の支配と搾取、そのはての失業・半失業によって【強制された(!)貧困】なのである。NHKも他のマスコミも「貧困を強制する憎むべき国と資本」という下手人どもを隠しに隠しとおす。「子供がかわいそう」は安易に「親はひどい」に誘導されてしまう。こうして「親」という労働者たちは治安の対象となる。「犯罪者」の烙印さえ押されて殺されていく。だが資本の支配と搾取・収奪の根を絶たれない社会に包まれたままの「子供たち」は、やっぱり〝貧困の連鎖〟として大半は「貧困を強制された親」になるしかないのである。この支配と貧困の終わらない連鎖の中では偽善者や宗教家(やカクメイ評論家)たちの説教もまたアヘンのような毒でしかない。

 要は「労働者階級の団結」である。めざすは資本主義の終焉であり真の解放である。

 そうした怒りをもって、その『ニュース』の要旨のみ転書して紹介しておきます。

  ……………

(その②)=☆コミューン研究☆No.011 に、さらに続く