☆コミューン研究☆  労働者自身の事業による解放のために

″労働者自身の事業による解放″を目指す一労働者のブログです

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■■☆コミューン研究☆ No.003

 『行動委運動と党建設』(再録&加筆 ①)

…前号までの予告のとおり、以下は2010年獄中提起のもの

  (必要に応じて○○○の伏字としました)

★……………………………

全運動非合法化・破防法攻撃の時代=<蜂起>を射程に闘う時代でこそ、

<行動委運動の重層的展開を内在的推進する階級的党>で武装しよう!!★

──はじめに──

恐慌下、獄内外つらぬく死闘の中で、2010年O月『OO』OOO号論文が提起されました。そこでは──OOOOO戦線の立場においてですが──KMグループ発生をめぐる総括視点と決意が迫力をもって提起されていました。ここにこめられた戦意をともに共有しようと思います。

その上でですが、次の点で違和感もありました。

ひとつは、この「OOO号」の視点においては、「KMグループを生み出した責任」ということが、労働者人民(=現実に闘いぬいている大衆)に対する階級的党としての自己批判…という意味ではない展開である点です。

 もうひとつは、──そうした「総括」=論理展開と全く一体と思うのですが──、(正しくも)階級的党たりうるための試金石のように引用提起されている「1973年OOO労働運動OOOOOOOOO」(以下「73OO」と略します)についての「OOO号」の<読み解き>がきわめて<的をはずして>いると思えてならないことです。

 後者が闘争・組織建設をめぐる<理論上の問題>であり、前者が<現実的(大衆的)検証をめぐる問題>である、と一応考えています。従ってまた、現下の(火急の)闘争・組織(・拠点)建設の巨歩をかちとるためにも、これらの課題は決して素通りできないと思い至り、以下に述べていくものです。

冒頭で<表題>として示していますが、私としては、闘争・組織論をめぐる核心問題として「73OO」の意義を再確認しつつ、改めてこの革命的危機の時代=全面的非合法化攻撃を正面から食い破る時代の闘争・組織論としても、やはり<行動委運動の重層的(相互発展的)展開、…を内在的に推進する階級的党>ということを、──もちろんその「言葉」ではなく──党的実践的基礎として、(非合法革命党建設の全格闘の中に)再定立していくことが、決定的に重要なのではないか、という提起を、論述の全般にこめています。

(※ …一部省略… )。

★★Ⅰ.〈行動委員会運動の重層的展開〉を内在的推進する階級的革命党

  ――「73OO」引用文についての「OOO号」の“読み解き”への違和感――★★

 「OOO号」論文中、「革命的労働運動に学ぶ」の項目は、特に“総括視点”として提示されたものと思われる。冒頭で「めざすべき革命的機関、運動体はどうあるべきか」(「OOO号」)に続いて「73OO」引用文が示されている。しかしこの引用に続く論旨(読み解き)が、まるで本旨とは違うものになっている。早速そのあたりを述べる。

 「73OO」の引用文は以下のような展開となっている。

…………………………………

A.  階級的党派は、

BのXの①.大衆運動の中に内在し、

    ②.大衆闘争を断固として推進し、

    ③.大衆組織相互の結合を推進し、

    ④.それを通して大衆運動の階級化をはかる。

BのYの①.大衆組織を大衆組織として確立することにより、

    ②.それと区別された強力な政治組織の建設が問われる。

C. …“党員は大衆の外にいるのではなく、その中の断固たる部分である”

    ということがもう一度問われていく。

…………………………………

 この「73OO」引用文中、BX①の「内在し」とは、言うまでもないが「階級的革命党」と自任する者が無前提に“内在しえている”のではなく、BX…BY…の組織的実践を通して、C.で「もう一度問われる」ものとしての「内在性」のことを言っている。ここで問われるべき「内在性」とは、そのまま我々が問われるべき「階級性」のことであると置き換えてもよいだろう。そしてこの本旨における主要な問題は、ここでは(C.「その中の断固たる部分である」ということ以上に)まず、C.「党員は大衆の外にいるのではない」という階級的な内在性が《どのように定立されるのか!!》について見事に整理して提起している一文であると言うべきだろう。そのことをまずBX①~④で、いわば〈行動委員会運動―ソビエト運動を推進する階級的党派の目的意識性〉として整理して提示し、次にBY①~②で(BX①~④の闘いの上に)大衆運動(組織)建設と党建設の相互媒介的・一体的構造を提示したもの、または「階級性を根底にし、現実に貫いた路線・組織の飛躍」(※)が提示されたもの、と考えられる。BX①~④・BY①②といった闘いを通して「共同性」「小ブル性の階級的否定」「認識の問題」(※)が闘い取られていく総路線的な核心に位置する一文と――1973年という時代の闘いに未だ合流しえていない私にとっても――思われる。

 (「 」(※)の引用は『獄中小論集』―「同志中原の営為引き継ぎ、“万国の労働者団結せよ”の今日的定立へ」69・70pより)のもの。後述の〈補足〉で詳述する)。

 端的に言えば「73労研」の引用文自体が、明らかに革共などの「前衛党組織論」を粉砕する階級的組織論を核心的に提示したものであり、「『階級的視点』をそのイデオロギー的立場にすぎぬものから…現実の(工場)労働者の階級的矛盾=制約に発しそれへの闘いと団結の発展のうちに定立する」(※)その推進構造を提示したものと読むべきなのである。

★★★以下はブログ用に加筆して注釈します★★★

■【 「内乱─コミューン」「ソビエト的転換」を投げ捨てた者たちが

 総翼賛運動化=大衆運動・拠点破壊に手を貸し、または傍観している 】■

 確かに党は、

階級闘争の発展を「推進する」! 

のみならず、

②一発の銃声から労働者人民の蜂起へという決定的瞬間にその政治的軍事的任務を果たす! その為にあらゆる準備を怠ってはならない。

 ただし①から②への飛躍は、「①ではなく②」ということではなく「①のみならず②」である。だから党は【全運動のソビエト的転換を】のスローガンを高々と掲げてきたはずではなかったか。

 にもかかわらずこの党の官僚たちはこのスローガンを忘却の彼方に捨てさった上、党の存在意義にかかわる「行動委運動…」さえも(本工主義丸出しで)「職場行動委員会」に意固地に限定解釈しようとしたり、その上でそれさえ(組織的には)全く何もなさなかったり、ではなかったか。

 もうひとつ忘却されて久しい重要なスローガンがある。【本工・予備役つらぬく分断の突破】である。この課題を投げ捨てておきながら「30年代ドイツ革命の総括」を御都合的解釈で説いたつもりの論法も──必要に応じて後日述べるつもりだが──空疎なイカサマにすぎない。(※詳細は別途とする)

 要は、そのように、特にかつての中央部官僚において階級性が理論も実践も枯渇しきった隙間をぬって、そのど真ん中の東京・明大と山谷を足場にし「自由空間」にしてKMTグループ(KMT!)なる異物を育て上げ!生み出し!てしまったのである。

 KMTという異物にしかめっ面を装いながら官僚たちは長年の間この異物の横暴乱暴に依存し共存してきた。そのKMT直近で闘う若者たちがその乱暴の限りに混乱・苦悩させられ、場合によっては重大な迫害さえ受けている「活動実態」を横目で見ながら「見て見ぬふり」でやりすごすのが、官僚たちが「潔癖を装う政治技術」だったのだ。

 KMTと他の官僚たちとの「決裂」を象徴する事態として、KMT(ら)による政治集会ビラからの「内乱─コミューン」スローガンの削除…ビラ捏造問題がある。明大ゴスペル問題といわれる事態(などの諸事件)が進行していた真っ最中であった。少なくとも、その「諸事態・諸事件」の収拾をほぼ全面的に預けられて「万能」のごとく──全国集中部隊をロボットのように振り回して──「全権」を振舞っていたKMTがいた。KMTに「全権」を預けて実践的には傍観しながらこの「全権」をくつがえそうという官僚たちがいた。そうして決裂した。

 横暴の限りをふるわれた若者たちの痛みも怒りも、真に執着してこれを解明し決着付けようとした者は(少なくとも)官僚たちの中には誰も居なかった。(※詳細は別途とする)

 「内乱─コミューン」スローガンとは、つまり「蜂起から捉え返した運動・組織建設」「全運動のソビエト的転換」から直結するスローガンであるはずである。(この時期の中央部議論を知らない私だが)、KMTらがあえて「内乱─コミューン」スローガンを非組織的手段をもってしても打ち消さねばならなかったということは、KMTらにおいては「それほどまでしても無残に路線転換または転向表明しなければならなかった」ということである。また実際そのようにすべての事態が進行していた。KMTは明らかに許しがたく誤った道を暴走していた。その他の官僚たちはそのKMTと最後には対峙したという意味でだけ相対的には「正しかった」だけであった。今日の現状がその限界を物語っている。

 KMTらはニセ「全障連」をでっち上げたりニセ「日雇い運動」をでっち上げたりしているが、それらは全く自立支援法体制(という名の総翼賛運動化攻撃)の尖兵としてのウンドーであり、そのように団結破壊者・敵対者の正体をさらして「全運動のソビエト的転換」の真逆を突っ走っている。他方はといえば「ソビエト」も「コミューン」も「行動委員会運動」もたまに思い出してみた言葉だけでそもそも(党としての)理論的深化も実践もカケラもない。……少なくとも中央部のほとんどがこうして「内乱─コミューン」の生命力を枯渇させているとき、──唯一、地区で「孤軍奮闘」をものともせずに反撃拠点を形成していた──全障連運動(拠点)への総攻撃として「組対法攻撃(差別弾圧)」が仕掛けられた。続いて、同じく「孤軍奮闘」をものともせず労働運動の重要な反撃拠点を守っていた日雇い労働組合への総攻撃として弾圧が連続した。党は──獄中から何度提起し訴えても──それらの総翼賛運動化攻撃という弾圧の意味をついに理解しようともしなかった。もはやこの党は「身近にすでに在る大衆運動・拠点」を利用して消費しつくし「看板だけ」にするが、決して「共に拡大・強化し再生産していく」ことをしない。

 こうして論理的にもコインの裏表であったKMTらと他方とは、ともに別の方法で闘う大衆運動・拠点を破壊しながら、したがって相互に他方を解体する道義性も確信も形成できないまま共存していくのである。

 ★★★(以上、新たに加筆しました)★★★